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大平山(おおびらやま)

標高530m。 三滝川右岸、関八州見晴台の南東にある山で、飯能市・越生町の境界尾根(大峰)から分かれる尾根上にある山。飯能市・越生町。

傘杉峠の東の530mの突起が大ビラ山で、山上に役小角彌勒不動などの石像がある。



『ハイキング 81号 奥武蔵高原 宮内敏雄 P10』

大平山と書いてあれば、オオヒラヤマと読むのが普通であるが、黒山の大平山は、オオビラヤマと濁って読む。
昭和15年5月20日発行の『ハイキング 93号 P58』 奥武蔵山名手帳にも、オ-ビラヤマと書いてある。
宮内氏も、敢えて平をビラと書いている。
しかし、『武蔵通志(山岳篇)』には「大平(タイヘイ)山 山上役小角彌勒不動石像あり慶應元年西戸村山本坊設立す所なり」と書いてある。
当然、宮内氏もこの文献に目を通しているはずで、その上でタイヘイをオオビラと訂正して記事を書いたと思われる。
おそらく地元で聞き込みをして、タイヘイではなく、オオビラが妥当と判断したのだろう。

山頂広場にある、高祖役行者像由緒の記によると、「山本坊・栄円法印が室町時代の応永5年(1398年)、黒山に熊野権現を勧請し、一帯を熊野修験霊場として整備した」と書いてあり、熊野嶽も霊場の一部として修行が行われていたようだ。

役の行者像は、元治2年(1865年)に建立されたが経緯は不明とあるが、熊野修験霊場だったこの山に修験道の創始者の役の行者(役小角)の像を建立したのだろう。

平成18年の暮に何者かによって尊像が倒され、尊顔が失われたが、平成19年9月11日に修復が完了したと書いてある。

ベンチのある広場から西側を見上げると、役の行者像などいくつかの石造物があり、霊場の雰囲気が漂っている。
かつては広場で修験者がおこもりをしたのかもしれない。
更に西へ登って山頂を踏んだが、薮山の雰囲気で、山名標も無い。
一般には、役の行者像を見て帰るのが普通なようで、こだわる人しか山頂には訪れない。
更に西へ尾根上を進んで、グリーンラインへ出ようとしたが、薮が酷くて進めなくなってしまった。
素直に引き返して、山腹の巻道を経由して、グリーンラインへ出る。

大平山(オオラヤマ)の由来だが、読んで字の如し、大きな平らがある山で単純明快であるが、読み方だけは注意したい。

『ものがたり奥武蔵 P104』には、「天狗ノ森烏帽子岩天狗ノ碁盤石などの地名や奇岩がある」と書いてあるが、所在不明である。

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2015年2月15日(日)大平山広場

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2015年2月15日(日)大平山の役の行者像全景

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2015年2月15日(日)大平山山名標

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2015年2月15日(日)高祖役行者像由緒の記

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2015年2月15日(日)鬼神を従えている役の行者

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2015年2月15日(日)不動菩薩

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2015年2月15日(日)京都聖護院門跡 登拝記念 標柱

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2015年2月15日(日)山本坊・栄円の墓 (宝筐印塔)

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2015年2月15日(日)板碑(摩滅が酷く読み取れない)

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2015年2月15日(日)彌勒菩薩

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2015年2月15日(日)大平山山頂は薮山の雰囲気

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2015年2月15日(日)西側は薮が酷い
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Author:池田 和峰
2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

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