スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カンナタテ

標高780m 北川左岸、飯能市越生町境界尾根にある山。飯能市・越生町。

別名:稚児の墓

次の突起をひとつ越した780mの閉塞曲線が、カンナタテである。
カンナタテから高畑と柏木の部落の間へ引く尾根を北川尾根という。
この尾根は途中小指という畑地を過ぎて大師様(前坂峠)と呼ばれる峠となる。
そして最後に秋葉山(450m)となって間野に終わる。
その南の三角点を有する突起が天久保山である。


『ハイキング 81号 奥武蔵高原 宮内敏雄 P9』

さて、征夷大将軍頼朝公のお成りとあっては、慈光寺はその応接に上を下への大さわぎで、この日はいつも隣り寺の高山不動から、多くの稚児が手助けにくるしきたりでした。
話はやはりこの時で、高山からきたある一人の稚児が、特にきわだって容貌が美しく聡明であったので、頼朝おそば近くのお給事役にえらばれました。
これに対して他の稚児たちは嫉妬心を起し、密かに機会あらばとねらっていました。

たまたまこの稚児が頼朝公御前に給仕中、腰と袴との擦り合いで異様な音を発したのを、他の稚児たちは、この時とばかりこれを放屁だといって辱めました。
美貌の稚児はくやしさの余り高山不動への帰途、右に高山、左に慈光の見える山の岩上から、投身してはててしまいました。

付近の村人があわれに思い、その地に一基の墓標を立ててその霊をねんごろにとむらったのですが、稚児は投身するときに「再びかかる無念を味わぬため、慈光へは以後稚児は登らぬように」との言葉を残していったので、それからは慈光の寺領中では子供が育たなくなってしまいました。

飯盛峠の東隣のこの稚児の投身した山を、今も稚児の墓と呼んでいますが、この伝説が本当になのか、慈光寺に関係ある家には丈夫な子供が一人もなく、幾度か坊さんがこの山に登って、稚児の墓を慰めたといいます。



『ものがたり奥武蔵 P115』

『ものがたり奥武蔵 P57 略図』には、カンナタテ(稚児の墓)と書いてあり、カンナタテと稚児の墓が同じであるように思える。
現地へ行ってみると、カンナタテのピークは登山道からはずれた場所にあり、指導標の分岐から往復した。
道は明瞭だったが、着いた先のカンナタテ山頂は、灌木の藪に包まれたピークで、かつて北川尾根へと続いていた踏み跡も分からない。
カンナは大工道具のあのカンナに似た岩だろうと思うが、グリーンラインに破壊されてしまったのか、踏査時は見つけることができなかった。詳しくはこちら⇒大日如来文字塔と稚児の墓

稚児の墓もカンナタテ付近では見つからず、少し西寄りに明治に建てられた大日如来文字塔があり、これが稚児の墓かとも思ったが真相は不明。
もしご存じの方がいたら、教えていただきたい。

sDSCF9398.jpg
2015年11月28日(土)左:飯盛山 中央:龍ヶ谷富士 右:カンナタテ

s8580132.jpg
2015年3月28日(土)グリーンラインからのカンナタテ入口

s8580134.jpg
2015年3月28日(土)ここからカンナタテを往復する

s8580135.jpg
2015年3月28日(土)カンナタテ山頂は、薮山

s8580137.jpg
2015年3月28日(土)グリーンラインに出る

s8580142.jpg
2015年3月28日(土)大日如来文字塔
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
奥武蔵登山詳細図コースガイド

アクセスカウンター

山名索引

あいうえお順で山名を探せます!

検索フォーム

プロフィール

池田 和峰

Author:池田 和峰
2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

奥多摩登山詳細図(西編)などに名前が載っています。

メアド:climberkaz@gmail.com

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。