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龍ヶ谷富士(たつがやふじ)

標高795.2m 北川左岸、飯能市ときがわ町越生町の境界が交わる所にある山。飯能市・ときがわ町・越生町。

別名:飯盛山・ムスビ山

また堂平(関八州見晴台)は胴平で『武蔵野話』の巨人伝説では、奥武蔵の山中で巨人が横になったところ、頭は顔振峠(冠峠・かむりとうげ)で、胴がこの堂平(胴平)にあって、足が芦ヶ久保(足が久保)に伸びていたそうです。

飯盛山は、関八州展望台(見晴台)から北へ伸びる奥武蔵高原の主脈上のちんまりとした突起で、伝説によると、巨人の食べ残した御飯を盛った所だそうです。
この山も地図にも名はなく、海抜こそ788mですが、稜線がすでに750mを越えているのですから、とるに足りない小さな突起なのです。

しかし、文字で書けば同じ飯盛を、なぜ一方を「めしもり山」、次の峠を「いいもり峠」と呼ぶのか不思議に思われますが、あるいはこの二つの混同を発音によって避けた古人の智恵かも知れません。

この飯盛山を、昔は梅園村では龍ヶ谷富士と名付けていました。
しかしどう見ても富士の優姿はなく、尾根上のあるかなしかの突起は、それでも当時旧入間郡(名栗村、吾野村が秩父郡時代)では郡内で一番高い山だったのです。
越生でも最高峰で、なるほど旧梅園村の中心、越生梅林辺りから見ると、その最高峰であることがはっきり目に入ります。
別に富士信仰があるわけではなし、富士に似た姿でもない単なる山が、ただ村の最高峰であったばかりに、富士の名称をつけられたのは光栄といわなければなりません。
山高きがゆえに尊しだったわけです。



『ものがたり奥武蔵 P178』

伝説によると、巨人が食べ残した御飯を盛った所を飯盛山というようになったそうだ。
確かに、『ものがたり奥武蔵』のいうように主脈上の突起に過ぎず、食べ残した感が、ありありである。
しかし、「富士に似た姿でもない単なる山」という結論は、早急過ぎで調査不足と言わざるを得ない。
高山不動の手前に登山道から少しはずれると岩に松が生えた場所があり、ここから眺める龍ヶ谷富士は、まさしく飯を盛ったような山容なのである。
小さいながらも、凛とした三角の山容は美しく、龍ヶ谷富士と呼ばれていたのも納得。

別名のむすび山も三角錐の山容から起こったものである。

現地には、飯盛峠を挟んで二つの飯盛山があるとの標示があり、混乱を避けるために795.2m峰を龍ヶ谷富士と表記した。
関東ふれあいの道の大きな山名標が建つ816.3m三角点峰の飯盛山は、『ものがたり奥武蔵』では無名、昭和15年発行の『奥武蔵 ハイキング・ペンクラブ著』では、「816.3m三角点峰は飯盛山の名がある」としているので、795.2m峰の飯盛山と合わせて今後の研究課題である。

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2015年11月28日(土)高山不動付近からの飯盛山

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2015年3月28日(土)龍ヶ谷富士入口

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2015年3月28日(土)手製道標

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2015年3月28日(土)龍ヶ谷富士山頂

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2015年3月28日(土)飯盛山(龍ヶ谷富士)山名標

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2015年3月28日(土)飯盛山の表記について

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2015年3月28日(土)グリーンラインに出る

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2015年11月28日(土)高山不動付近からの飯盛山(左:816.3m三角点峰 中央:795.2m峰)
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2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

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