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西吾野からスルギ

西吾野駅から吾野駅方面へ国道を進むと、右に森坂峠への道を分けて、奥武蔵の自然卵の看板のある場所を右折して、小床橋(こゆかはし)を渡ります。
奥武蔵あじさい館から名を改めた休暇村奥武蔵の看板があり、それによると吾野駅まで無料送迎バスがあるとのことです。

14:25 15:25 16:25と書いてあり、これは御岳山から休暇村奥武蔵へ踏査した時に使いたいです。

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小床川右岸に、岩壁があり、『ものがたり奥武蔵 P17略図』によると、ケンポコの名があるようです。
ケンは険阻のケン、ポコは、断崖絶壁を要する通路のことをホキといい、ホキ⇒ホコ⇒ポコと転訛したのではないでしょうか?
奥多摩の六ツ石山南には、保基合峠の名が残っており、ホキアイのホキと意味は同じと思われます。

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(ケンポコ)

清心地蔵。
「清心というのは昔子ノ山に住んでいた坊さんで、この小床みちが岩石のため歩きにくく大きく迂回していたのを、単身開鑿(かいさく)し現在のみちを作ったので、その功績を残すために村人が地蔵像をたててまつったものだそうです。」
『ものがたり奥武蔵 P26』

左へ小床峠への道を分け、右の真っ赤な鳥居が見えると、指導標には、「静之神社」と書いてあり、露出した岩盤の上に社が立ててあります。
小床の名は、この神社のように、「神の床」という考えから名が起こったようです。
『ものがたり奥武蔵』では、小床を「こいか」と読んでおりますが、地形図や橋の名などは「こゆか」です。

静之神社は、小床みちを開鑿した清心というお坊さんから名をとったと思われます。

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その清心が岩を穿って造った道を進みます。
そう思うとありがたい道ですね。

天寺十二丁目石があり、イモリ山からの道と交差する場所は、『ものがたり奥武蔵』では柿ノ木峠となっていますが、峠ノ前という名称が正しいようです。

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(天寺十二丁目石のある峠ノ前)

天寺(あまでら)というのは、子ノ権現の別名:天龍寺を略した名称で、山上の寺という意味も含まれています。
ここの丁目石は上に行くほど(子ノ権現に近づくほど)数字が小さくなります。

そのまま小床みちを進むと、天寺十一丁目石があり、穴のあいた珍しいものです。
この他にも土や茂みに埋もれてしまった丁目石がたくさんあるので、それらを探しながら歩くのもまた楽しいです。

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下久通への道が分かれる場所は、柿ノ木峠の名があり、先ほどの峠ノ前は、この峠の手前ということが由来のようです。
位置関係を考えると、やはり『ものがたり奥武蔵』の記述は間違いのようです。

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(柿ノ木峠)

子ノ権現で豆口山を眺めつつラーメンをいただいた後、駐車場を抜けると大展望が広がり、関八州見晴台付近の山並みが見えます。
指導標は、吾野駅、浅見茶屋、西吾野駅と書いてありますが、マジックで小さく大高山と書いてあるところがスルギへの入口です。

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凍結した道を慎重に進みますがわずかで終わり、陽当たりの良い、畑跡に出ます。
大根畑と呼ばれていたようで、大根がたくさん植わっていた畑だったのでしょう。
今は、灌木が茂っております。

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(大根畑)

博打岩があるようですが、確認できませんでした。
右上に大岩を見て、登山道からはずれて、538m点へ行きます。
明るく好ましいピークで、久久戸山の名があるようです。

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(538m点)

538m点の北東に、「するぎ」と指導標に書かれた場所があり、青場戸(不動ノ滝)への道が分かれております。

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『飯能市史資料編Ⅺ P155』
「スル木(ギ) 滝の蔵の南方、坂石の山下、大平にはさまれた山林。大きな山だが飛び地。
参考:長野県下の方言に「スリキ」がある。
野猪がヌタ場で泥を塗りつけた後、身をこすりつける木をいう。」

「擂り粉木棒を作る山椒の木」

スルギの由来はこの二つが有力なようです。
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3:
http://homepage3.nifty.com/youzantei/mitisirube/nenoyama_m01.gif

子の権現を検索してたら出てきたのですが、この図に拠ると、浅見茶屋の先に十二丁目石が記されています。どおゆうことなんでしょうか…。
4:
各参道に、丁目石があり、子ノ権現の二本杉(飯盛杉)に各参道の一丁目石があります。
合目と違って、下へ行くほど数が増えて行くのが特徴です。
主な参道が5本あり、それぞれに十二丁目石があるということになるので、最低でも5基の十二丁目石があるということになります。
天寺十二丁目石は、安永八年の小床口の丁目石です。

降魔橋のものは、吾野口の安永八年の十二丁目石です。

天寺十二丁目石と降魔橋が子ノ権現からだいたい同じような距離にありますよね。

計算したら、その差はわずかに155mで、ロードメジャーの無かった時代にどうやって距離を測ったのか興味深いです。

南川口、表口、名栗口、それぞれに、十二丁目石があったようですが表口、名栗口の十二丁目石は失われてしまったようで、見当たらないようです。
各参道の名称をうまく表現できればいいですね。
ありがとうございます。
5:
なるほど!ありがとうございます。

>子ノ権現の二本杉(飯盛杉)に各参道の一丁目石があります。

素晴らしい観察眼です。
ロードメジャーの無かった時代に…やはり歩数で測ったんですかね。
子ノ権現が崇敬されていた証ですね。今度訪れた時は真面目に参詣したいと思いました。
6:
歩数ではかったんですか!
それにしても、昔の人の信仰心や熱意には驚かされますね。
一つ一つの丁石を設置するのも大変な労力です。

気持ちを新たにして、もう一度参拝したいですね!

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池田 和峰

Author:池田 和峰
2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

奥多摩登山詳細図(西編)などに名前が載っています。

メアド:climberkaz@gmail.com

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