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またもや大沢山で…

2016年9月30日(金)
笹子駅~西群馬幹線214号~大沢山~西群馬幹線213号~大勝線53号~笹子駅

大沢山は、範囲外なのですが、1059m峰付近まで入りますので、踏査に行くことにしました。
本当は、船橋沢付近を歩きたかったのですが、前回、熊に遭遇したので怖くて行けないので、しばらく時期をあけることにしました。
できれば熊さんが冬眠している時に行きたいです。

笹子駅を出て、東山梨変電所方面へ歩くと、右に白標柱が立ち、西群馬幹線214号・213号への巡視路入口があり、今日はここから大沢山へ向かいます。
稲村神社から往復するだけでは、芸がありませんからね。

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西群馬幹線214号・213号巡視路入口

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奥野沢川にかかる木橋

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川岸が削られ、岩が浮いてる~

木橋を渡ってすぐに道が二手に分かれますが、わかりにくい分岐なのでとりあえず直進します。
右が213号へ行けるようですがこの時はわかりませんでした。
不明瞭な踏み跡で、ピンクテープがあちこちにぶら下がり、どこへ進んだら良いのか迷いますが、左の溝状の涸れ沢に沿って進みます。
対岸の涸れ沢右岸に、黄テープを見つけると、踏み跡も涸れ沢を渡って右岸へ渡っており、しばらく涸れ沢右岸沿いを進みます。
分岐に気づかず、適当に斜面を上がって、西群馬幹線214号へ出てしまいましたが、空き瓶にテープが巻いてあるのを見た後、ピンクテープで左折すると踏み跡がありました。
倒木でわかりにくくなっていますが右から迂回して、トラバースして行くと、尾根に乗って、黄杭があります。

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ここで左折

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ここで右折

黄杭からは、尾根上を登れば、西群馬幹線214号にたどり着きます。

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西群馬幹線214号

そのまま尾根上を登って行くと、トラバース道にぶつかり、行こうとしていた尾根上に踏み跡がありませんので、右へ曲ってトラバース道を進みます。

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トラバース道

なかなか良い道だなあと思ったのも束の間で、後少しで稲村神社~大沢山の尾根に出るというところで、猛烈な薮が出て来てしまい、進めなくなりました。
少し進んだだけで、頭から濡れてしまうので、引き返して斜面を適当に登ります。
桧の枝が邪魔でなかなか進めず、なんとか尾根に乗ると、ちょうど212号への巡視路分岐でした。

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猛烈な薮で行き止まり

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212号巡視路分岐

濃霧の中、1059m峰を知らずに過ぎて登ると、前方からパキパキと枝を踏む足音が聞こえてきます。
この音は、聞き覚えがあります。
前回とまったく同じです。

濃霧の中に浮かび上がる黒いシルエット。
向こうも視界が悪くて、こちらに気づくのが遅れてしまったようで、かなり近くなってしまいやばいです。
犬の鳴きまねをして、こちらの存在を気づかせると、熊はぷいっと左を向いて、東山梨変電所方面へ下って行きました。
濃霧で熊に急接近は、御巣鷹山と同じパターンです。
霧の時は、熊との遭遇確率が高まります。

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熊出没地点

怖くて下山したくなりましたが、ここまでの時間と交通費が無駄になってしまうので、勇気を振り絞って前進することにしました。
以前、熊に襲われた時に、山仲間から熊鈴をプレゼントされていたのですが、二つとも失くしてしまったのです。
前回に続いて2回連続で熊に遭遇したので、帰りに熊鈴を買うことを誓いつつ、大沢山へ。
大雪で倒れた木があり、迂回するのが大変。
ベンチに座って、ポテサラパンを食べます。
ガサガサと音がすると、びびって首をきょろきょろ…。
パンの味なんてあまりよくわかりません。

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大沢山山頂

下りは、212号巡視路分岐まで一緒ですが、熊遭遇地点が恐ろしいです。
また出て来たらどうしよう?
犬の鳴きまねをしながら下ります。
213号、899m峰を過ぎて下ると、アンテナが出てきます。
はて?
こんなアンテナあったかな?
地デジ化で最近建てられたのでしょう。
ところが、大勝線53号に出てしまい、ここでルートミスに気が付きました。

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西群馬幹線213号

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大勝線53号

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大勝線53号からの眺め

え~~~?
こっちの方が踏まれていたよ~?
引き返すのも面倒なのでそのまま下ることにしました。
尾根を下ると、伐採地になり、倒木で歩きにくくなり、ここ右折します。

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ここで右折

マーキングを頼りに下りますが倒木が多く歩きにくいです。
なんとか、踏み跡をたどって林道に下り立って下ると、追分トンネルの近くでした。
こんなとこに出るのか~!

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林道に出て振り返る

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林道入口

笹子駅、平日14:35の次は14:32で1時間も待ち時間があります。
どうしたもんかな~?
と思いつつ追分に着くと、大月行バスがブワ~ンと通過して行きました。
うわ~あれに乗れば笹子駅まで早かったのになあ。

諦めて、またまた「しらかば」へ立ち寄ることに。

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マヨネーズしょうが焼丼 600円

マヨネーズしょうが焼丼という聞きなれないメニューが目に止まり、注文。
今日も日替わり定食は売り切れなのでしょう。

カウンターの笊に松茸が置いてありました。
裏メニューで出してくれないかな~?

帰りに八王子で下車して、登山ショップへ行くと、熊鈴が1800円以上もしますよ~。
たけ~!
諦めて、尼さんでキャプテンスタッグの492円のものを取り寄せしました。
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角研山の熊

2016年9月25日(日)
笹子駅~大勝線47号~黒野田林道~葛野川線30号~角研山~宝越え~1308m峰~鶴ヶ鳥屋山~1142m峰~黒野田林道~977m峰~初狩駅

久しぶりに晴れたので、約2ヶ月ぶりに踏査を再開で~す。
笹子駅を出たらすぐに山道を歩きたくなったので、最初に出て来た、白標柱№47⇒から取り付きます。
因みに林道を進むと、この先にも白標柱№47立つ巡視路入口が二つと、№48入口が一つあります。

登ってすぐに、祠が並ぶのを見つけて近寄ってみると、男根のような石棒が祀られております。
隠れてこっそりと信仰されているような印象です。
こういう信仰は、縄文時代とかかなり古くからの信仰です。
石丸峠の石摩羅様を始め、山梨県には、こういう遺物がけっこう多いんですよ。
子授けの石とも呼ばれ、子ができない女人が、さすったりして子宝に恵まれるよう祈っていたようです。

不明瞭な場所もある巡視路ですが、上へ行けば大勝線47号に出て、少しだけ眺めがよいです。
中央線沿線を歩いているとよく見つける送電線鉄塔跡もありました。
おそらく旧国鉄時代のものと思われ、古い地図にも載っている送電線ですが、全貌は不明です。
この送電線鉄塔の巡視路が、廃道歩き好きにはたまらない道となっておりますが、ここには無いようです。

大きな平坦地が出て来ると、トタン板が置いてあるので、造林小屋跡のようです。
穴があるから炭焼き窯跡かもしれません。

この後、尾根を横切る黒い物体に遭遇、良く見ると可愛い仔熊ちゃん
ぬいぐるみが歩いているみたいで可愛い!
と浮かれている場合ではありません。

御巣鷹山、高柄山、雨乞山(奥多摩)、堂西山に続いて、五度目の遭遇です。
近年、熊の遭遇が増えているような気がしますが気のせいでしょうか。
我に返ると、急に恐ろしくなってきました。

仔熊の近くには、ほぼ確実に親熊がいるからです。
帰ろうと思いましたが、下に行くのも怖いし、ここまで来たら黒野田林道に出た方が早いのです。
そのまま進むことにしました。

恩石標№1790のピークでメモを取っていたら前方でガサガサ音がして、鳥の鳴き声がギャーギャーうるさくなり、異変に気が付きました。
何かがこちらに近づいて来ております。
ま、まさか親熊か~?
ガサガサがどんどん近づいて来たので、木の影に隠れました。
二度目の遭遇では、これで襲われているんでしたっけ…。
学習能力がありません。
っていうか、熊の前では無抵抗主義者になってしまいます。
ガサガサ音は二つに分かれ、尾根の両側を獣が進んでいるようです。
ま、まさか挟み撃ちにする気か~?
さすがに二匹相手では、勝ち目はもちろん生存確率も低くなりそうです。
今度こそ終わりだあ。
でも、ガサガサは、遠くなって行きました。
船橋沢の方へ行ったようです。
尾根を登ると、かなりの急登で疲れます。
船橋沢の源頭がサラサラしているのを聞いて黒野田林道に出られた時は、心底生きてて良かったと思いました。

利用価値の低そうな登山道に並走する巡視路を踏査して、角研山に登ると、「山梨県」と書かれた腕章をした男性が登って来て、やはり船橋沢で黒い物体を見たとのこと。
うわ~、俺の見た熊がやっぱり船橋沢に行ってたか~。

笹子駅から船橋沢へ向かう手前の沢利沢の橋に、熊の目撃アリとの看板があり、あまり信じてはいなかったのですが、ここには熊が生息しております。
繁殖もしております。

鶴ヶ鳥屋山は、いくつか危険な箇所があり、特に下りにとると危険度が増します。
ロープの張られた斜面は、急で滑りやすく、林道手前の階段が、雪が積もると滑り台のようになり、特に危険です。
数年前には死亡事故も発生しているようです。
階段の手前には倒木があって、これを迂回して越えるのも一苦労でした。

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白標柱№47⇒ ここから取り付く

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男根(原始信仰)のようなご神体が祀られている

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大勝線47号

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送電線鉄塔跡

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造林小屋跡・炭焼き窯跡?

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恩石標

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黒野田林道に出る

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巡視路入口

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立岩

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難所の丸太渡り

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本社ヶ丸、石切山、角研山

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白峰三山、甲斐駒

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ブナの道

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鶴ヶ鳥屋山山頂

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鶴ヶ鳥屋山からの富士山

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難所の大木岩

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いつ来ても怖い階段

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滝子山

おまけ動画↓

虎秀山(こしゅうやま)

標高320.4m・四等三角点 点名:井上。 高麗川左岸、橋本山の西にある山。飯能市。

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2015年3月23日(月) 東吾野駅からの虎秀山、中央奥。

北東が旧虎秀村 分木(ぶんぎ)で、南東が旧井上村 青木に属している。
飯能市史によると、分木とは旧虎秀村と旧井上村の境界にある標木のこと。
分木から青木への山道は「青木おっ越(ご)し」の名があるという。

虎秀 コシュウ

小名:市場、中組、新田、間野。

東は平戸、西が井上、南は高麗川で対岸平戸、北は山を境に入間郡毛呂山町。

寛文検地帳に虎秀村とあり、字(あざ)にはそれらしい地名を見ないが、慶検の字にある「こしやう」が旧名のようである。
1貫600文ほどのうち1貫300文位つまり大半が田で、田中、橋本、中居、沢口、落合など慶検に見られないから、こしやうはこの範囲内にあったかと思われる。
小名は現在も自治会名になっている。

こしやうは古松でもあったか。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P92』

飯能市史は、虎秀の由来を「こしやう」の転としているが、「古松でもあったか」と、曖昧な結論で終っている。
古松は当て字からの推測であり、的を得ていない。

アイヌ語だと、カー(罠)・ウシ(いつもしかける)の転、もしくは。カシ(狩小屋)・ウン(ある)の転、クシ(川を渡る)であろうか、他に古朝鮮語も考えられる。
この暗号解読は、かなり難しいので、今後の研究課題である。

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2015年3月21日(土)虎秀山山頂

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2015年3月21日(土)虎秀山山名標

関山(せきやま)

標高270m。 高麗川左岸、虎秀山の西北西にある山。飯能市。

別名:中嶽

中嶽 ナカダケ

山瀬ヶ沢の西、山頂で4字(あざ)に分れる。
村の中央にある山という意味がこめられ、中嶽であろう。
南むきの斜面が多いから畑もだいぶつくられた。
寛検、切畑2反5畝14歩9筆。
焼畑が広く行われたと見える。

関山 セキヤマ

中嶽の西北。
西向きの急斜面。
寛検、切畑・下々畑約8畝歩。
地名の由来は鎌倉橋付近に堰があったといわれているから、堰の山だったろう。


『飯能市史 資料編 Ⅺ P100』

270m峰の南が中嶽で、北が関山と呼ばれている。
東のピーク(井上の井の字のところ)は、山瀬ヶ沢と栃久保になる。

奥秩父線76号の北で興徳寺方面の西に下る。
鞍部に着くと、左が興徳寺だが、倒木が酷く荒れている。
尾根上直進が関山方面だが、未踏査なので、いつか山頂に立ってみたい。

飯能市史によると、関山の由来は、鎌倉橋付近に堰があったので、堰山が転じたという。
中嶽は旧井上村の中央に位置していたことによる。
岩場があれば、嶽の字も納得できるが、あるのだろうか。

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2015年3月21日(土)右の興徳寺方面へ

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2015年3月21日(土)鞍部の左が興徳寺、関山は直進

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2015年3月21日(土)手製道標

鶴ヶ峰(つるがみね)

標高390m。 高麗川左岸、虎秀山の北にある山。飯能市。

老ノ窪 オイノクボ

梅久保の北で、山はまた深くなる。
栃窪、梅久保、老ノ窪はいずれも虎秀の分木と南北の稜線で境された西向きの急斜面だから耕作地としては恵まれていない。
それなのに慶長以来細々ながら村の人は鍬、鋤を負って嶮しい山を耕しつづけた。
老ノ窪とは恵まれない耕作地であろう。

松ノ窪

竹ノ窪

鶴ヶ峰

亀ノ沢

以上の四つの字はさきの梅久保、老ノ窪と隣り合せに目出度くも並んでいる。
検地帳には見えないから、明治になって、二つの古い地名にあやかるように松竹梅、鶴亀の名が生れたと思われる。
まさに嘉名(縁起のいい地名)である。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P101』

飯能市史によると、崩壊地なので埋め久保が転じて、梅久保になったようで、それと老ノ窪は古くからの地名で、後から松竹梅、鶴亀の縁起の良い地名が生れたようだ。
この山に鶴が来たとか、山容が鶴に似ているという由来ではない。
地図では表記されていないが、松ノ窪の西の谷筋が竹ノ窪である。

ダイダナッチから宝山を経由して南下すると、赤杭№22があり、ここが鶴ヶ峰であるが、南東尾根が倒木で塞がれ、薮山の雰囲気である。


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2015年3月21日(土)鶴ヶ峰山頂

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2015年3月21日(土)赤杭№22

宝山(たからやま)

標高448m。 高麗川左岸、越上山の南南西にある山。飯能市。

別名:後ロ山

宝山 タカラヤマ

公図、郡村誌以前は管見にのぼらぬ。
これも嘉名(縁起のいい名)の仲間であろう。
あるいは高ら山か。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P101』

後ロ山 ウシロヤマ

長沢阿寺に入りこんだ、一見飛地のごとき深山。
井上の後ろの山ということになる。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P101』

山頂は、旧井上村に属する。南東が宝山、東が後ロ山、北に旧長沢村の飛地のダイダナッチがある。
東に亀ノ沢、鶴ヶ峰と縁起の良い地名が並ぶので、それに因んで名づけられたようだ。

飯能市史によると、右の諏訪神社参道コースと分かれる場所の辺りが、ダイダナッチ(大ダナツチ)で指導標に、手製道標が小さくぶら下がっており、ここを尾根上の左へ進む。
良く踏まれた道が続いて、宝山のピークにさしかかるが、道は山頂を巻いてしまうため、知らずに通り過ぎてしまった。
未踏峰なので山頂の写真はないが、いつか山頂を踏んでみたい。
宝が眠っているのだろうか?

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2015年3月21日(土)ダイダナッチ(大ダナツチ) 左:虎秀山 右:井上 

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2015年3月21日(土)手製道標

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2015年3月21日(土)宝山山頂は巻いてしまうが、山頂へ踏み跡がある

育代山(いくよやま)

標高399m。 高麗川左岸、越上山の南西にある山。飯能市。

別名:旭嶽

旭嶽 アサヒダケ

松原の南、朝日がさしこむ山。

『飯能市史 資料編 Ⅺ P102』

尾根上に大岩があり、育代岩と書かれているので、その上の山なので育代山と呼ばれたようだが、資料が無く由来不詳。
旭嶽は、東側一帯の名で、嶽は大岩(育代岩)があるので、朝日が差す岩のある山という意味で旭嶽と呼ばれるようになったようだ。


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2015年3月30日(月)育代山コース入口 手製道標

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2015年3月30日(月)399m峰 育代山山頂

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2015年3月30日(月)育代山山名標

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2015年3月30日(月)育代岩

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2015年3月30日(月)育代岩標示

丸山(まるやま)

標高357m。 長沢川左岸、育代山の西にある山。飯能市。

丸山 マルヤマ

田中の北、風影への道の左の山中だが、ここから見た北の山が丸く見えるので言うのであろう。
寛検に切畑6歩2筆を見るのだが、坂の理右衛門、八左衛門の耕地になっている。
坂からは、いささか遠すぎるようだが、こういうこともあった。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P106』

奥武蔵登山詳細図範囲内で7座あるうちの1座。

山容が尖っておらず、丸みを帯びている山に多くつけられる山名。

『ものがたり奥武蔵 P57 略図』にある大松尾根は、バラ塚から南に分かれる尾根であるが、ヨコガヤ道については詳細不明。
丸山一帯はかつて耕作地であったようなので、ここを行き来する道がヨコガヤ道と呼ばれていたのかもしれない。

大松尾根はバラ塚から始まるが、踏み跡が無い(ここを歩いた強者の知人はいる)ので八徳コースとの交差地点から入る。
尾根上を下ると、一つ下の旧道と思われる横道と交差してなおも尾根上を進む。
作業道が右から合わさり、左へ分かれるが、黄標柱を頼りに尾根上を進む。
なだらかな468m峰を過ぎると、道が悪くなって、植林に埋もれたような安曇幹線355号を見る。
ここから踏み跡が不明瞭になる。
踏査時は、枝打ちの作業員と遭遇し、枝が足下に散乱していて歩きにくい。
赤杭№15・76・71を過ぎると357m峰の丸山山頂で三つほど木にテープが巻いてある。
山名標も無い薮山で、ここから更に踏み跡が不明瞭になり、薮もあってわかりにくいが、尾根上を外さないように下ると、荒れた作業道の終点に出る。
更に尾根上を下ると、赤杭№52で作業道終点とぶつかり、ここからは急坂となる。
シノヤブにつかまりながら下ると、作業道に下り着いて、右折。
別の作業道に出て左折すると、梅が見事な広場になり、八徳支10のある車道に出る。

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2015年3月15日(日)八徳コース分岐から大松尾根を下る

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2015年3月15日(日)作業道が分かれる

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2015年3月15日(日)尾根上へ

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2015年3月15日(日)黄標柱の立つ道を行く

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2015年3月15日(日)468m峰

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2015年3月15日(日)安曇幹線355号

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2015年3月15日(日)安曇幹線355号

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2015年3月15日(日)大岩

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2015年3月15日(日)尾根上の踏み跡をたどる

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2015年3月15日(日)357m峰 丸山山頂

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2015年3月15日(日)荒れた作業道を見る

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2015年3月15日(日)取付点(右折)

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2015年3月15日(日)作業道左折

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2015年3月15日(日)春は梅がきれい

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2015年3月15日(日)八徳支10で車道に出る

只今作図中!

今日は、鶴ヶ鳥屋山へ出かける予定でしたが、またしても雨予報になり、15時まで寝ておりました。
これはきっと、作図をせよ!
という天からの啓示だと思い、作図をすることにしました。
と言っても、三ツ峠山付近の踏査済み範囲は終わってまして、本社ヶ丸北側の作図にとりかかっております。
地図でいうと、南図の左上(北西)のほうです。
御坂線巡視路を描き終えたので、西群馬幹線巡視路の作図にとりかかるところです。

とその前に…。

小腹が空いたので、レトルトハンバーグでも食べようっと。
( ^0^)_D イタダキマース

【追記】

23:00 222号~宝鉱山を描き終えました~。
コーラが飲みたくなったので外に出たらまた雨ですよ。
雨ばっか降ってんなあ。
コーラではなく、ドクターペッパーを買ってしまった…。

お次は、石切山北尾根ですなあ。

【追記】

9月19日月曜日 1:00
日付が変わりました。
石切山北尾根の作図が終わりました。
奥野橋が二箇所出て来て、打ち間違いかな?
と思って、写真で確認したら、やっぱり二箇所あります。
上流の奥野橋は、ニの沢という支流にかかる橋なので、奥野橋の名は疑問に思えます。

【追記】

3:00

角研山~庭洞山~笹子を描き終えました~。
お腹が空いたので、即席めんを食べてから、船橋沢コースにとりかかります。

【追記】

7:00

船橋沢コースが完了いたしました。
納豆ご飯を食べたら少し、横になります。
夜勤だともうすぐ寝る時間です。

越上山(おがみやま)

標高566.5m・三等三角点 点名:越上。 長沢川左岸、鼻曲山の南西にある山。飯能市・越生町。

別名:古諏訪・古スワ山・拝み山

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2015年3月30日(月)十二曲峠付近からの越上山(右) 人間のお尻に見える

越上(ヲカミ)山

入間郡梅園村黒山村の南にあり、高麗郡東吾野村長沢村に跨る。高さ3600尺山中一泉あり、藤淵と称す。即ち越辺川の源なり、故に越上の名ありと云う。
山巓に登れば東南平濶にして遙矚に佳なり。



『武蔵通志(山岳篇)』

拝沢 オガミザワ

山伏入の南、越上山(オガミヤマ)に対する拝(オガミ)沢であろうが、山伏入で述べたように霊地を礼拝する気分が、この地名にうかがえる。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P108』

武蔵通志(山岳篇)では、越辺川の源流なので越上山と書いてあるが、それは字義から推測しただけで誤りである。
なぜなら、おっぺとはオ(川尻)・ウ(互いに)・コツ(合流する)・ペツ(川)というアイヌ語が転訛したものであり、それに越辺川と当て字されたものなので、当て字から由来を推測するのは大きな間違いである。
越辺川は、越上越沢上流を源頭に、左から越辺川源流を合わせ、越上沢と名を変え、顔振(かあぶり)川に合流し、黒山で左から三滝川を合わせると越辺川と名を変える。
いくつもの支流が合流する川なので、アイヌ語の意味とも合致する。
顔振(かあぶり)川のカアブリもカム(神・高台)・フル(丘)というアイヌ語の転訛であると思われる。
それに顔振と当て字され、義経が振り返ったなどという付会伝説が生まれたのだろう。

越上山の由来は、武蔵通志にヲカミとなっているように、オ(尻)・カム(神・高台)というアイヌ語からの転訛が考えられる。
山容を見ると、確かに山頂部が二つに裂けているので、人間のお尻に見える。
古代人の目からは、信仰の山というよりも、身近にある人間の部位に例えて山を呼んだことは想像に難くない。

『ものがたり奥武蔵 P106』には、京から貴人が来て、越上山山頂に諏訪明神の幣帛(へいはく)を立てて、この辺りを開拓して土民を治める祈願をしたのが、諏訪神社の始まりとある。
その後、少し下の現在地に神社を移したので、この山を古スワ山と呼ぶようになり、神社が無くなっても村人が登拝して信仰したために、拝み山と呼ばれるようになり、越上山の字が当てられたという。

元々のアイヌ語のオ・カムと大和語の「拝み」の音が偶然似ており、しかも信仰の対象にもなったので、オガミ山が定着したと思われる。
古代人(縄文人・アイヌ人)の後から入って来た、和人の言葉がうまく融合して地名として残ったのだろう。

オ・カム(アイヌ語)⇒オガム(大和語)⇒オガミ山⇒越上山(当て字)

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1997年10月4日(土)越上山分岐

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1997年10月4日(土)岩場

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1997年10月4日(土)越上山山頂

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1997年10月4日(土)西側からの越上山 人間のお尻に見える

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2001年6月30日(土)越上山山頂



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2015年3月20日(金)越上山分岐

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2015年3月20日(金)杣徑分岐

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2015年3月20日(金)岩場

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2015年3月20日(金)越上山山頂

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2015年3月20日(金)石祠

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2015年3月20日(金)石碑

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2015年3月20日(金)神社入口(鳥居)

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2015年3月20日(金)神社

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2015年3月20日(金)信仰のあった岩

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2015年3月30日(月)岩屋ノ滝と竜ノ淵(藤淵)
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池田 和峰

Author:池田 和峰
2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

奥多摩登山詳細図(西編)などに名前が載っています。

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