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八幡坂ノ頭(はちまんざかのあたま)

標高580m 名栗川左岸にある山。飯能市。

『ものがたり奥武蔵 P33』の略図に書いてある山名。
『名栗の民俗 上 P230』には、道普請と称して八幡坂を定期的に整備していたと書かれている。
近くに個人所有の八幡宮があり、それが八幡坂の名の起こりとなったのだろうか?
竹寺と八幡の関係については、今後の研究課題である。

奥武蔵では、長久保坂など峠の代わりに坂の文字が使われることが多いが、八幡坂の場合は、峠のことでは無く、竹寺への参道、つまり小殿から竹寺までの坂道のことである。
八幡坂が越える鞍部を、八幡坂峠(『名栗の民俗 下 P404』に記載)といい、更に上のピークを八幡坂ノ頭と呼ぶようになった。

山頂は植林に囲まれ展望は無く、山名標も無いが、小殿から見上げるとなかなかの山容である。
初登頂は、2015年1月24日(土)だが、写真を撮り忘れてしまった。

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2016年5月9日(月)八幡坂ノ頭山頂

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2016年4月8日(金) 小殿からの八幡坂ノ頭(左の山)
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天王山(てんのうざん)

標高513m 中藤川右岸、八王子(八王寺)尾根にある山。飯能市。

八王子 ハチオウジ

天王山八王寺(竹寺)の寺名は八王子に由来して地名もこれがもとになっている。
八王子は日枝神社の祭神、山王七社の一つ。
慶検に、475文、うち楮7.5束、7筆とあり、主(地主)は連(ママ)花房となっている。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P139』

北は中島、東は畑ヶ中(はたけなか)、南は山中、西は桜久保の小名に囲まれ、この山頂を頂点にして、四分割されているが、八王子には接していない。
天王山と言えば、竹寺のことであり、牛頭天王を祀っていることに由来していて、『ものがたり奥武蔵 P39~P41』にも長々と書いてある。
位置的には、山中川を挟んで左岸の真東に位置しており、山名が移動したのかどうかはわからないが、『奥武蔵ハイキングマップ 私家版』には記載してある。
『新ハイキング 第700号 2014年2月 P43』には八王寺尾根とあるが、天王山の山名には触れられていない。

山頂は植林に囲まれており展望は皆無、祠でもあれば天王山の根拠になるのだろうが、見当たらなかった。

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2015年4月22日(水)天王山山頂

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2015年4月22日(水)天王山山名標

堂平山(どうだいらやま)

標高520m 中藤川左岸にある山。飯能市。

堂平の鐘

畠山重忠は、中沢の堂平山の頂に鐘楼をおいて、鎌倉からの帰りにはその鐘をついて武甲山に知らせたので、秩父の館ではいつも主人の帰館を先に知り、用意万端とどこうりなく準備ができたのだと言われていました。

その後、この鐘は転落して渓流に沈んでしまいましたが、その場所には雪が降っても、つもらなくなったと言われています。



『飯能の伝説 P65』

『ものがたり奥武蔵 P82』にも同様の話が書いてあり、この山の山頂に鐘楼があったことが由来。
山頂は、広くて平らなので、確かに鐘楼の他に、お堂もあったのだろうと思われる。
植林に囲まれていて展望は無いが、栃屋谷の奥の屋号大棚から目鼻の距離で、山の中が生活の場だったということを思い起こさせる場所である。
踏査時に、すれ違った猟師さんは、大棚集落の道で上がって来ていたので、住民がいなくなった後は、猟師道として利用されているようだ。


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2015年1月29日(木)堂平山山頂

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2015年1月29日(木)堂平山山名標

天下茶屋から本社ヶ丸 2016.06.26(日)

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富士山駅からの富士山

日勤明けの日曜日、仕事の疲れが抜けておりませんが、踏査へ行ってまいりました~。
天下茶屋までバスで上がり、楽をしてしまいました。

他の乗客は、三つ峠登山口で下車して、終点で下車したのは私だけ。
ここに来るのもほんとに久しぶりです。
トンネルの上へ上がって、縦走路に出たら八丁山へ向かいます。
この辺りも、自然林が素晴らしいですね。

旧藤野木八丁峠はどこかな~?
と薄れた記憶を頼りに歩くと、なんとか見つけ出せました。
灌木があってわかりにくいですけど、道形が残っていて安心しました。
何も標示が無いので、わかりにくいですがここが元祖というか元々の藤野木八丁峠です。

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天下茶屋

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旧藤野木八丁峠

送電線鉄塔に出ると、八丁峠の標示があり、新藤野木八丁峠です。
ここは昔からの峠ではなく、送電線鉄塔が建てられ、新たに作られた巡視路が越えている峠っぽい場所です。
なので、新藤野木八丁峠です。

ここから巡視路を下ると、左に折れるところで、右から旧藤野木八丁峠から来ている旧道が合流します。
この道は、二箇所で崩壊しているので、現在は歩けません。廃道です。
以前、歩いたことがあるのですが、今も歩けるかどうか…。
どうしても廃道に興味が行ってしまいますね~。
この道、意外と展望がいいので侮れません。
仮設橋は記憶にありません。
二俣のやや上をトラバースするところが少しわかりにくいですかね。
対岸に踏み跡が見えているので、それを目がけて行けば行けます。
笹の尾根に乗ると、見廻り道は更にトラバースしているのですが、猛烈な薮です。
前回は、この薮に阻まれてここまでたどり着けなかったのですよ!
ここからは、見廻り道を外れて、新たに作られた巡視路を下って、清八林道に出ます。
この巡視路は、見廻り道の一部を整備して作られた道なんですよね。

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仮設橋

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見廻り道入口

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大幡山、茶臼山、水雲山、御巣鷹山

新藤野木八丁峠へ戻って、尾根上を進みます。
この前、やむを得ず登った薮尾根が合流。
うっすらと踏み跡がありますよ。

八丁山を越えて、三ツ峠山からの道に出たら清八山には行きません。
以前踏査済なので、今回は清八山巻道を進んでみたいと思います。
清八峠の道標に「この先危険」とある道です。

以前は、清八峠から大幡山方面へ歩いたことがありますが、今回は逆から行ってみることにします。
最初の崖は、踏み跡が高巻いているので、難なくクリア。
次の崩壊地その1がやっかいでした。
頼みのロープが倒木で逆への字になっていて、ほとんど使えません。
足場の悪いところを慎重に下って、崩壊地を通過。
上を見ると今にも落ちそうな倒木が横たわっております。
ここはかなり危険です。

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崩壊地その1

二つ目の崩壊地は、ロープをたどってなんとか行けますが、その後の倒木の下を回り込んで上に上がるところがやっかいです。

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崩壊地その2

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廃道化が進む巻道

どうにか、二箇所の難所をクリアして、清八峠に着きましたが、道標にある通り、危険!でした。

清八峠からは本社ヶ丸へ~。
いや~ここを歩くのも、ほんとに何年ぶりかしら~?
造り岩の辺りって、鳳凰三山を歩いているような気分になります。
展望がいいからでしょうね。
本社ヶ丸までは意外と距離があったんですね。

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岩場

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アルペンムードが漂う

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ミニ梯子

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本社ヶ丸山頂

石切山山頂は、丸みを帯びていて山名標も無いのでわかりにくいです。
送電線鉄塔手前は、草原状でほんとにいつ来ても気持ちがええところ。
コブの上で大休止~。

角研山は新しい山名標が建っていてびっくり。
ここから笹子駅へ下ります。
送電線鉄塔を過ぎた辺りは以前、伐採後の薮で体が傷だらけになったのですが、それも今は昔。
植林がすっかり育っており、時の流れを感じてしまいます。
あの時、ひざ下だった苗木がもうかなりの高さですよ。

黄標柱の分岐も、当時はわかりにくく、半信半疑で薮をかき分けつつ進みました。
林道が見えたと思ったら、降り口が崖で、木につかまってズルズル滑りながら下ったのですが、今はちゃんとジグザグの良い踏み跡が付いていてびっくりです。
いや~ほんとに歩きやすくなりましたね。
今となっては、薮こぎしたのが懐かしく、ちょっと寂しいです。

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石切山山頂

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送電線鉄塔手前は気持ちがいい

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角研山山頂

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初めて来た時は伐採地だった左側

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以前は迷った場所も明瞭に

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林道の降り口、以前は崖で大変だったのも嘘のよう

庭洞山には、黄テープに庭洞丸と書かれていたのですが、山名標無いみたいですね。
岩科本には、庭洞山とあります。

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庭洞山(庭洞丸)

というわけで、久しぶりの本社ヶ丸は、かなり変わっていて、驚きました~。

六ツ石ノ頭(むついしのあたま)

標高540m 中藤川左岸、スルギ尾根にある山。飯能市。

現地山名標、『奥武蔵ハイキングマップ 私家版』に書いてある山名で、東が大高沢入で、西が鏡岩の小名になる。
由来となった六ツ石は未確認である。
一部が雑木で明るい山頂なので、ここで休むハイカーが多い。
一部の文献の頭にカシラとルビが振ってあるが、一般的に頭はアタマと読み、カシラと読む山は八ヶ岳の三ツ頭(ガシラ)と南アルプスの宮ノ頭(ガシラ)で、これは特殊な例であり、しかも濁点が付く。

某辞典に「~かしら」と記載されているものが多いが間違いである。正しくは「~あたま」である。

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2015年1月25日(日)六ツ石ノ頭山頂

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2015年1月25日(日)六ツ石ノ頭山名標

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2015年1月29日(木)六ツ石ノ頭山頂

高反山(たかそりやま)

標高532m 栃屋谷川右岸にある山。飯能市。

大高沢入 オオタカサワイリ
小高沢入 コダカザワイリ

鏡岩の東北の深い山中。
沢道を境に広い方が大高沢入、狭い方が小高沢入になっている。
坂石 高沢入出口が沢の口にあり、地形から坂石とか坂元分となるべき場所だから、所属については謂れががあるのだろう。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P139』

スルギ尾根の縦走コースから外れた南東に張り出した枝尾根にある山で、訪れる人は少ない。
ソリとは、焼畑のことで、高地にある焼畑が由来になる。

もう一つ考えられる由来として、タカソリは、タカサワイリが訛ったもので、ソリに反の字が当て字され、高反山となった。
南側が古玉(コダマ)、北側が寒場(カンバ)久保と呼ばれ、古玉は蚕玉(コダマ)で、寒場は神場のこと。
高反山付近に、蚕玉様を祀った祠があったらしく、古くは信仰の山だったようだ。
古道も縦横に走っており、大棚集落跡にも繋がっていたようなので、いつか再調査したい。

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2015年1月25日(日)高反山山頂

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2015年1月25日(日)高反山山名標

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2015年1月25日(日)高反山山名標

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2015年4月18日(土)高反山山頂

四本松(よんほんまつ)

標高522.1m・三等三角点 点名:吾野。子の権現と大高山の間にある山。権現川右岸のスルギ尾根にある山。飯能市。別名 板屋ノ頭

『ものがたり奥武蔵 P33』の略図に四本松とある山で、『奥武蔵ハイキングマップ 私家版』や現地山名標には板屋ノ頭とある。
南側が南(中沢組)の寒場久保で、北側が同じく大高沢入となっている。
昔は、四本の松があり、良い目印になっていたのだろうが今は見当たらない。
北側が断崖絶壁になっており、展望がある狭い山頂で、東側がロープの張られた滑りやすい急坂になっているので、注意を要する。
別名の板屋ノ頭の板屋はどこの地名だろうか、栃屋谷の栃屋の誤記だろうか…。

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2015年1月25日(日)四本松山頂

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2015年1月25日(日)四本松(板屋ノ頭)山名標

テシロー

標高483m 樫久保入右岸にある山。飯能市。

『ものがたり奥武蔵 P33』の略図にある山。
飯能市史によると、西の加屋須と東の大沢入の間にある山で、加屋須の山中に屋号枝久保の民家があったそうだ。

辞典を調べると、「タシロの転、または麻に撚りをかけて糸にする櫛形の道具をテシロといい、この櫛形の道具に似た形による地名」とあり、山名由来はテシロという櫛形の道具に似た山容からきているようだ。
おそらく、『ものがたり奥武蔵』の著者が地元で採取した山名であろう。
平坂飛村林道の赤テープから入ると、展望の良い場所があり、西側の眺めが広がる。
踏み跡は明瞭だが、483m峰には山名標も無く、知らずに通り過ぎてしまうかもしれない。
下って行くと栃屋谷と飛(ひ)村を結ぶ峠道が交わる長久保坂に出る。
テシローから南沢山へ続く尾根は、スルギ尾根から分岐する枝尾根であるが、長い枝尾根であり、樫久保入と中藤川の出合で終っていて、通して歩くのも面白そうだ。

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2015年4月18日(土)テシロー483m峰

南沢山(なんざわさん)

標高466m 中藤川左岸にある山。飯能市。

権五郎神社のある下中沢の真東の南沢山(なんざわさん)は、女人禁制の神聖な場所で、昔は頂上に池があって、村人はここに登り池の水を使っておしょうじんをしました。
この池の主は竜神でしたが、ある日猟人が山狩りをして猪を捕え、その不浄物を池中に投げ入れたので、竜は怒って名栗の大淵に飛んでゆき、それからは池も無くなってしまったということです。
この池はいつもゴウゴウと底で水が流れるような音がしていたそうで、池はないが精進岩と呼ぶ露岩は今でも杉林の中に残っています。



『ものがたり奥武蔵 P34』

南沢 ミナミザワ

釜ノ沢(精進岩の東の沢)の北。
南沢を発して東南方向に流れる水路を南沢堀といい、田ナリで樫久保からの主流と落合う。
樫久保方面から南の沢。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P134』

西は南(中沢組)の戸丸、杉本、東は中藤上郷の釜ノ沢となっており、尾根上が南(中沢組)と中藤上郷の境となっている。
小名の南沢は、南沢峠の東で、南沢山とは接していないが、南沢の南岸に位置する著名な山なので、南沢山と名付けられたようだ。
地名が、「みなみざわ」訓読みであるのに対して、山名は「なんざわ」と音読みである。
『ものがたり奥武蔵』になんざわとルビが振られているのだが、誤記か小名のみなみざわと区別するためになんざわと読むようにしたのかはわからない。
かつては信仰の山だったようだが、池跡も精進岩も確認できず、名のみが残っているようで、いつか精進岩を見つけてみたい。
山頂からの展望は皆無だが、尾根上には明瞭な踏み跡があり、歩きやすい。

北にある南沢峠は、地形図破線路があり、栃屋谷と樫久保を結んでいた古い峠だが、峠道は廃道のようで、現在踏み跡は無い。


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2015年4月18日(土)南沢山山頂

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2015年4月18日(土)南沢山山名標

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2015年4月18日(土)南沢山山名標

湯ノ花山(ゆのはなやま)

標高389m 樫久保入右岸にある山。飯能市。

湯の沢

むかし、ここからは、温泉が湧いていたそうです。
ある時、狩人がこの岩山にいた鹿を討ち、その血を湯壺で洗ったので、湯の権現はその不浄をお怒りになって、千年たったらまた帰ると言って、上州の伊香保に飛んでいってしまいました。

それから湯は冷泉になってしまったということです。
また湯壺の下の沢の石が今でも赤いのはその時の、鹿の血潮で染まったものだといわれています。


『飯能の伝説 P74』

小西 コニシ

赤岩の西南。
湯ノ花のわずか西の意。
屋号オキの家があって、おくまん様(熊野社)の小祠がその裏手にある。

おくまん様と湯ノ花の伝説があり、鉄砲打が熊をうったので、おくまん様が怒られ湯は出なくなってしまった。
と言うことである。

湯ノ花 ユノハナ

小西の東。山麓に小集落があり、南むきの広い平がある。
平を昇って、東に曲る小径を少しゆくと大岩があり、ぽたぽたと水が落ちている。
そのしたたる水が白い湯ノ花になっていたのだそうだが、いま湯ノ花はみられない。



『飯能市史 資料編 Ⅺ P134』

キワダ坂の湯ノ権現

子ノ権現入口の吉延から、中藤側の飛村(ひむら)へ越える峠をキワダ坂と呼びますが、その頂上の一軒家に湯ノ権現がまつってあり、昔は湯が湧いていて、また、そこから流れ出た湯の花のたまった所が、飛村の下の湯の花の部落だといっています。
しかし、ある日狩人が獲物の血を湯壺で洗ったので、湯ノ権現は怒って上州の伊香保へ飛んでいってしまいました。
飛村はこの時湯ノ権現が上を飛んだのでこう名付けられたといい、それから湯は冷泉になってしまったのだといいます。

伝説は以上のように地名にも結びつけているが、実際は飛村は『新編武蔵風土記稿』に日村という文字で書かれてあるように、語源は日のよくあたる村という意味です。
また湯ノ花部落は、裏高尾の小仏川沿いにある湯ノ花山と同様で、猪ノ鼻から転訛した地形語と考えるのが妥当であります。
因みに独標467の南沢山と小沢一つ隔てる東隣りの山に、湯ノ花山の名が与えられています。

またこの湯ノ権現のそばには、天狗の腰かけ松と呼ばれる老木があって、昔は天狗が通行人にいろいろといたずらをしたそうです。


『ものがたり奥武蔵 P29』

湯ノ花という地域は、詳細図の樫久保入右岸、樫久保と書かれた付近で、小西は尾根を越えた南沢左岸の地域である。
おくまん様が怒られ湯が出なくなったという話は、北の湯ノ権現の伝説と酷似しており、関係があると思われる。
『ものがたり奥武蔵』では、湯ノ花山の由来を猪ノ鼻から転訛した地形語としているが、湯ノ花山がそのように見える場所はまだ見つかっていない。
昔、湯ノ花があったという伝承をそのまま素直に由来とするのが正しいと思われる。

黄柏坂には、二軒の民家があり、湯ノ権現もそこにあったようだが、峠は採掘によって破壊され、地形も変わってしまった。
スルギ尾根の入口に移設されたと思われる祠から黄柏坂の痕跡を求めて、林道の北へ下るとかつての峠道と思しき踏み跡があったが、黄柏坂まであと少しの地点で、立入禁止吾野鉱山の看板で行き止まりとなってしまう。
黄柏坂は、破壊されてしまったらしい。
別の道をたどると、桑畑の跡に出て、脇を細い水流が流れている。
黄柏坂にあったという民家が糧にしていた田んぼの跡だろう。

湯ノ花山への入口には、黄テープがあるが、入口はわかりにくい。
もし気づいたとしても、尾根上は薮である。
苦労の末にたどり着いた湯ノ花山山頂は、丸みをおびていて小広い。
山名標を見つけて安堵した後、そのまま尾根上をたどってみたが、踏み跡消失。
往路を戻るのが賢明だ。

伝説にある、赤い石はチャートという堆積岩で、太古の動物の殻や骨片が海底に堆積してできた岩石で、奥武蔵ではけっこう目にすることが多い。
湯ノ権現が上州の伊香保へ行ったという話の湯ノ権現は、修験者がそれに関わる信者のことではないだろうか。

地元の方に「飛村は日当りが良いから日村の転のようだ」と教えると、「それほど日当たりが良いとは思えない」との返事が返って来て苦笑してしまった。
谷間では確かに日当たりはそれほど良くないだろう。
日照を求める村人の思いが、日村の名を生んだのかもしれない。

いつか、おくまん様を拝みに行って、湯ノ花の由来となった岩も見てみたい。

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2015年4月18日(土)湯ノ花山山頂

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2015年4月18日(土)湯ノ花山山名標

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2015年1月25日(日)黄柏坂から移設されたと思われる湯ノ権現

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2015年1月28日(水)湯ノ権現から林道に沿った北側の細道を下ると足場板の橋がある

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2015年1月28日(水)足場板の橋

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2015年1月28日(水)今はもう誰も見ることが無い、立入禁止看板

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2015年1月28日(水)田んぼか桑畑の跡、この先で林道に出る

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2015年1月28日(水)前坂側の立入禁止看板
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プロフィール

池田 和峰

Author:池田 和峰
2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

奥多摩登山詳細図(西編)などに名前が載っています。

メアド:climberkaz@gmail.com

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