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天覚山~武蔵横手 2015.1.28

下に行くと、両峰神社(天覚大明神)跡があります。

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三峰社と両峰社を合祀しているので、両神山、両峰山の名もあるようです。
ですから、天覚山には、5つの別名が存在しております。
昔は、山頂で加持祈祷が行われ、信仰の山だったそうです。

下山は、沢筋コースと尾根道コースに分かれますが、尾根道コースを行ってみます。
指導標が完備され、赤実線クラスの良い道で、展望も抜群!

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パノラマコースと名付けたくなるくらい、良い展望が続く道です。
東吾野駅が近づくと、「くぬぎの会」が設置した指導標を発見し、武蔵横手まで行ってみることにしました。

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西武線の撮影スポット

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深沢山

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愛宕山

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東屋

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落石注意

のどかな里山の散策路で、春先にもう一度来てみたいなと思うくらい気持ちの良い道でしたが…。

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高麗川にかかる橋が撤去されていて、渡れませんでした。
ここまで長い距離を歩いて来たので、戻るのも面倒です。
強引に高麗川右岸を行ってみることにしました。
右にかまど山への道を分け、進んで行くと湿地帯で踏み跡が消え、藪も深くなり、川に迫り出した大岩で進めなくなってしまいました。
大岩には、洞穴もあります。

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ここからは、道なき道を進んでかまど山の道に出て、なんとか武蔵横手駅に着きました。

「くぬぎの会」が設定した「東吾野郷めぐり」の道は武蔵横手側が歩行不能です。
立ち入らない方が良いでしょう。
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前坂~大高山~天覚山 2015.1.28

前坂から小突起を捲きつつ進んで、平坂飛村林道に出ますが、大高山へは誰かが好意で作ってくれた道標が頼りです。

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ひと登りするとベンチがあり、次の鞍部は、ジョウロの名があります。
南大菩薩には、ジョーロ(ジーロ)ザスがあり、漢字では女郎とも書かれますが、意味は崩壊地でジャレ、ザレと関連していると思われます。

南側の字名は、大高(オオタカ)で、北側は大高(オオダカ)となり、若干呼び名が違います。
どちらも正しい読み方ですが、大高山を読む場合、「おおだかやま」と濁るのが一般的なようです。

山頂手前には古い石造物・若宮八幡大神があります。

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山頂からの展望は、樹林の間からわずかに垣間見られる程度です。

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平成20年八月吉日 吾野地区まちづくり推進委員会と書かれた立派な山名標兼指導標があります。
面白い構造なので、細かく見てみると、羽の部分を後からはめ込んでセメントで接着したようです。

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大高山を後にすると、再び石造物があり、資料には小祠とありますが、屋根がありません。
失われてしまったのでしょうか?
お酒のパックが置いてあり、現在も信仰の対象となっているようです。
文字が彫ってあるようですが、磨耗が激しく読めませんでした。

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大岩が出て来て、右はキケンと書いてあるので、左を進みます。

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所々に手製道標があり、助かります。↓

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392m点ピークを過ぎると、鞍部なり、ここは越路(こえじ)の名がありますが、南北に踏み跡は見当たりません。

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越路(こえじ)

南の字名は、小猪路(こいのじ)です。

「高北の西、中島から鎌倉坂方面に通じる古い道。
井上方面で中藤道という。
尾根で大高山、天覚山方面にもでることができる。
越路→小猪路であろう。」

『飯能市史 資料編 Ⅺ P130』

越路は、集落と集落を結ぶ道が越える路(みち)という意味で、峠と意味は同じです。
西丹沢の鳥ノ胸山の東には、恋路(こいじ)峠というロマンチックな峠がありますが、本来は越路と書かれていたと思われます。

この辺りでは、猪が多かったせいか、越路から小猪路へと字名が転訛したようです。

小突起三つを越える辺りは、甲仁田の名があります。
横瀬には、甲仁田山があり、この山は山頂が広い平坦地になっており、甲というのは手の甲という表現があるように、山頂が平坦になっているということあらわしていると思われます。
ニタは、猪が体をこすりつける湿地という意味で、ヌタバ、ニタバとも呼ばれ、猟師用語から出た地名です。

地形図を見ると平坦なように見えましたが、実際に歩いてみると、痩せ尾根になっている部分があり驚きました。

次の鞍部は、地形図によると、破線路が越えておりますが、踏み跡は見つけられません。

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410m圏峰は、前大高と資料にあり、現地の赤テープにもそのように書いてあるのを見つけましたが、これは間違いのようです。
位置的にも、大高山から離れており、どちらかといえば、天覚山に近いピークなので、前大高の名には違和感を覚えます。
やはり、資料にも誤りと記されているように、この表記は間違いでしょう。

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「天覚山を守る会」の道標を見ると、まもなく天覚山(てんがくさん)に着き、展望が開けます。

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以前は、展望が無かった山頂なので、近年伐採されたようです。
スイカツリーや西武ドームが確認できました。

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『武蔵通志』によると、天覚寺山、高澤須山、道心社山の別名もあるようです。

中沢や飛村では、テンガクザンと読まれ、濁ります。
資料には、一般ハイカーの呼ぶテンカクサンという呼び名はガイドブックによる誤称であると記されております。
しかし、テンカクサンで定着してしまっている呼び名をテンガクザンに戻すのも無理がありそうです。
一般的にはテンカクサンだけど、本当の呼び名はテンガクザンということを知っていれば、ちょっとした天覚山ツウになれそうです。

つづく…。

中沢バス停~長久保坂~飛村~前坂 2015.1.28

今回は、前坂から大高山を目指します。
当初は、吾野から登る予定でしたが、電車内で予定変更して、中沢から長久保坂経由で前坂に行くことにしました。

中沢の名は、村の中ほどを流れる中沢川に由来し、古くは南村の飛び地でした。
権五郎神社を過ぎて大岩下の石仏などをいくつか見ながら林道を進むと、赤い小さな鉄橋があり、その先に指導標もあって、ここが長久保坂入口となります。

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(長久保坂入口)

歩きやすい峠道ですが、一箇所だけ倒木がありました。
長久保坂は、尾根道が横切るだけの静かな峠です。
この尾根には、湯ノ花山や南沢山があるのでいつか歩いてみたいですね。

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(長久保坂)

今回は峠を越えて、そのまま飛村へ下ります。
峠の手前の小名が長久保で、峠のむこうも長窪(長久保)なので、ここが長久保坂と呼ばれているのも納得です。

去年の大雪にも耐えた祠があり、手を合わせます。

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シャガが群生している峠道を下ると、前坂付近の山並みが見えて来ます。

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民家脇を抜けますが、これでも公道なので堂々と歩けます。
峠道はこういう場所が多く、外壁に道標が打ち付けてありました。

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分岐には指導標があり、逆コースも迷いません。
中藤からの道に出ると、地元の女性に出会い、ここが飛村(ひむら)だと教えられます。

なぜ飛村なのかまでは知らないというので…。

キワダ坂下の一軒家に湯ノ権現がまつってあり、そこから溢れ出た湯の花が、飛村下の湯ノ花の名の起こりとなりました。
狩人が獲物の血を湯壺で洗ったので、湯ノ権現様が怒って、伊香保へ飛んでしまい、この時、湯ノ権現様が上を飛んだので、飛村の名が起こったと、『ものがたり奥武蔵 P30』にあります。
実際は、日当たりの良い村だから、日村というのが本当だそうです。

ここまで詳細に説明できたわけではありませんが、そんなお話をしました。

「え?ここは日当たり良くないですよ~!」って女性に言われてしまいましたが、南向きの斜面で日当たりは良いです。
きっと、謙遜されていたのでしょう。

次に、高岩って知ってますか?
と訊ねたら、小さい頃に女子は登っては行けないと言われていたそうです。
こんな場所にも、女人禁制のしきたりがあったとは驚きです。
おもしろい話を聞くことができました。

前坂は「まえざか」と濁ります。

高岩は、天狗の住み処とおそれられていたようですが、実際は別の理由があって女人禁制だったのかもしれません。(博打の場など)

林道栃屋谷線起点で、女性と分かれ、前坂への登山道へは行かずにそのまま林道を上がります。

高岩へのバリエーションルート入口を確認して、この林道ができる前の旧道と思われる道を歩きます。

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林道を歩くよりこちらの方が雰囲気が良いですが、猛烈な藪で行き止まりとなり、林道へ上がりました。

古い石仏を見つけましたが、これが湯ノ権現でしょうか?↓
下の段には、かなり古い壊れた石造物もありました。
再調査必要?

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天狗の腰掛松というのもあるらしいのですが、それはさすがに残っていないでしょう。

伝説の多い場所は、楽しいですね。

さてさて、そろそろ寄り道は切り上げて、前坂に向わねばなりません。
それでも、以前踏査した道を再び歩くのもつまらないので、途中で尾根に上がる踏み跡からバリエーションルートに入ります。

中央線沿線を思い起こさせる明るい雑木の尾根に登り着いて、旧登山道と思われる道を発見してしまいました。
廃道好きにはたまらないですね。
石灰岩の露岩地帯もありました。
今の登山道は、採石場のために近年付け替えられた迂回ルートのようです。

登山道に合流したら、ハイキングコースの看板のところから再びバリエーションルートへ。
もう、うずき出したら止まりません。

なんと!

かなり前に廃道になったと思われる吾野への旧登山道を発見しました。
調べてみたいけど今は我慢です。

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419m点手前の鞍部で登山道に出て、前坂(まえざか)へと向かいます。
時計を見たらもう10時です。
30分以上寄り道していたようです。

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(前坂:まえざか)

つづく…。

スルギから前坂 2015.1.25

いくつかのコブを捲いて行くと、明るいピークの430m圏峰に達して、六ツ石ノ頭という山名標がありました。

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手前に岩場いくつかありましたが、どの岩が六ツ石なのか不明です。

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雑木で明るく気持ち良い道を歩いて、鞍部から登ると堂平山への道が分かれる場所になり、手製道標がありました。
南(へ向かうと)堂平山と書かれておりますが、ここが南堂平山という意味ではなく、南へ行くと堂平山という意味です。
その間違いを正すために、文字が訂正されております。
位置的にも、ここは堂平山の北になるので、南堂平山の名称は明らかな間違いとわかります。

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途中の分岐から登山道をはずれて右へ行くと、532m高反山(たかそりやま)があります。
高ソーリヤツの源頭にあたるためにその名があるようです。

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ソーリ、ソリは、沢(さわ)が転訛した呼び名で、ヤツは谷戸(やと)=谷と窪の中間の規模の沢が転訛した呼び名です。
大高沢入(おおたかさわいり)、小高沢入(こだかざわいり)の名も見受けられます。

雑木で明るく気持ち良い尾根になり、この辺りが、スルギ周辺で一番魅力ある場所です。
522.0m三等三角点、点名:吾野は、狭いピークですが、明るい山頂です。
手製道標には、栃谷の頭とありますが、便宜的に付けられた仮称と思われます。
栃屋谷(とちやがい・とちやがや)の地名は南にありますが、栃谷は周囲に見当たりません。

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『ものがたり奥武蔵』では、四本松としておりますが、現在四本の松は見当たらず、地名だけが残っているようです。
石灰岩採掘場を見下ろし、ロープの張られた急坂を下ります。
左の北側が切れ落ちているので、要注意です。

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墓地に出ると、寒場久保、栃屋谷、中沢へ下る道が分かれております。
なぜこのような高地に墓地を作ったのでしょうか?

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地蔵尊を見ると、石灰岩採掘場で寸断された道が分かれております。

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林道に出ると、キワダ坂と思われる場所に出て、石祠があります。
芳延や岩殿観音へ向かう道が分かれていたようですが、どちらも石灰岩採掘場によって、道が寸断されているようです。
詳しくはこちら⇒キワダ坂

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(キワダ坂)

林道を進むと、一軒家の手前に指導標があり、ここから再び山道です。

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いくつか指導標を見ると、四日前に通過した前坂(まえざか)に到着です。

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吾野方面へ下り、指導標から登山道をはずれて、419m点へ行きました。

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(419m点)

バリエーションルートが、東に向かってますが、すぐに林道に出てしまうようなので、北に進みますが、踏み跡はほとんどありません。
館があったと思われる平坦地を過ぎ、大岩のある鞍部からは、明瞭な踏み跡が出て来ます。
おそらく登山道からの踏み跡でしょう。
再踏査の必要がありそうです。
堀切跡の上に大岩があり、戦時はここから矢を射たものと思われます。

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(堀切跡の上の大岩)

354m点の本丸と思われるりゅうがい山に到着です。

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(りゅうがい山)

『新編武蔵風土記稿』に載っていますが、城にまつわる興亡史はありません。
鎌倉時代に築かれた小規模な山城または物見台だったようです。
りゅうがい山は、先日踏査した妻沢にも龍谷山があり、要害が訛って「りゅうがい」になったようで、城跡なのはどちらも共通しております。

北に下ると、館跡とされる平坦地に着き、大岩に祠がありました。

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戦の無い平時は、ここに駐屯していたと思われ、戦時は、ここから山を駆け上って、りゅうがい山に立て籠もったものと思われますが、果たして戦があったのかどうか…。
興亡史が無いということは、使われないまま放棄されたような気がします。

ここからは、眺めの良い場所に出て、西武線によって道が寸断されておりました。
吾野湧水に出てから吾野駅へ向かいました。

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今回は、Wさんが同行してくださいました。
ありがとうございます。

西吾野からスルギ

西吾野駅から吾野駅方面へ国道を進むと、右に森坂峠への道を分けて、奥武蔵の自然卵の看板のある場所を右折して、小床橋(こゆかはし)を渡ります。
奥武蔵あじさい館から名を改めた休暇村奥武蔵の看板があり、それによると吾野駅まで無料送迎バスがあるとのことです。

14:25 15:25 16:25と書いてあり、これは御岳山から休暇村奥武蔵へ踏査した時に使いたいです。

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小床川右岸に、岩壁があり、『ものがたり奥武蔵 P17略図』によると、ケンポコの名があるようです。
ケンは険阻のケン、ポコは、断崖絶壁を要する通路のことをホキといい、ホキ⇒ホコ⇒ポコと転訛したのではないでしょうか?
奥多摩の六ツ石山南には、保基合峠の名が残っており、ホキアイのホキと意味は同じと思われます。

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(ケンポコ)

清心地蔵。
「清心というのは昔子ノ山に住んでいた坊さんで、この小床みちが岩石のため歩きにくく大きく迂回していたのを、単身開鑿(かいさく)し現在のみちを作ったので、その功績を残すために村人が地蔵像をたててまつったものだそうです。」
『ものがたり奥武蔵 P26』

左へ小床峠への道を分け、右の真っ赤な鳥居が見えると、指導標には、「静之神社」と書いてあり、露出した岩盤の上に社が立ててあります。
小床の名は、この神社のように、「神の床」という考えから名が起こったようです。
『ものがたり奥武蔵』では、小床を「こいか」と読んでおりますが、地形図や橋の名などは「こゆか」です。

静之神社は、小床みちを開鑿した清心というお坊さんから名をとったと思われます。

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その清心が岩を穿って造った道を進みます。
そう思うとありがたい道ですね。

天寺十二丁目石があり、イモリ山からの道と交差する場所は、『ものがたり奥武蔵』では柿ノ木峠となっていますが、峠ノ前という名称が正しいようです。

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(天寺十二丁目石のある峠ノ前)

天寺(あまでら)というのは、子ノ権現の別名:天龍寺を略した名称で、山上の寺という意味も含まれています。
ここの丁目石は上に行くほど(子ノ権現に近づくほど)数字が小さくなります。

そのまま小床みちを進むと、天寺十一丁目石があり、穴のあいた珍しいものです。
この他にも土や茂みに埋もれてしまった丁目石がたくさんあるので、それらを探しながら歩くのもまた楽しいです。

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下久通への道が分かれる場所は、柿ノ木峠の名があり、先ほどの峠ノ前は、この峠の手前ということが由来のようです。
位置関係を考えると、やはり『ものがたり奥武蔵』の記述は間違いのようです。

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(柿ノ木峠)

子ノ権現で豆口山を眺めつつラーメンをいただいた後、駐車場を抜けると大展望が広がり、関八州見晴台付近の山並みが見えます。
指導標は、吾野駅、浅見茶屋、西吾野駅と書いてありますが、マジックで小さく大高山と書いてあるところがスルギへの入口です。

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凍結した道を慎重に進みますがわずかで終わり、陽当たりの良い、畑跡に出ます。
大根畑と呼ばれていたようで、大根がたくさん植わっていた畑だったのでしょう。
今は、灌木が茂っております。

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(大根畑)

博打岩があるようですが、確認できませんでした。
右上に大岩を見て、登山道からはずれて、538m点へ行きます。
明るく好ましいピークで、久久戸山の名があるようです。

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(538m点)

538m点の北東に、「するぎ」と指導標に書かれた場所があり、青場戸(不動ノ滝)への道が分かれております。

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『飯能市史資料編Ⅺ P155』
「スル木(ギ) 滝の蔵の南方、坂石の山下、大平にはさまれた山林。大きな山だが飛び地。
参考:長野県下の方言に「スリキ」がある。
野猪がヌタ場で泥を塗りつけた後、身をこすりつける木をいう。」

「擂り粉木棒を作る山椒の木」

スルギの由来はこの二つが有力なようです。

キワダ坂

キワダ坂は、戦前の鉄道省の本によると、黄柏坂と書かれております。

黄柏はキハダと読み、それが転じてキワダとなったのでしょう。

黄柏とは、ミカン科キハダ属の落葉高木の樹木で、主に薬の原料として使われた他、染料としても使われていたようです。
そのキハダ(黄柏)の木があることから、黄柏坂(キワダ坂)となったようです。

「なおも登ってやがて沢の源頭近く石灰岩を採掘しているところに達し、それから又急登がしばらく樹林の中に続いて左より前坂からの徑を合わせると間もなく、針葉樹のある黄柏坂(キワダ坂)に出る。
頂にはベンチが置かれすぐ下に人家と畑が見える。」

『日本山岳案内2 鉄道省山岳部編 博文館 P210』

芳延と栃屋谷、飛村を結ぶ重要な峠だったようですが、現在は芳延への道が石灰岩採掘場によって破壊されており、峠の位置も林道によってわからなくなっております。
個人的な見解としては、スルギからの登山道が林道に出る地点に石祠があり、この辺りにキワダ坂があったのではないだろうかと思われます。

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すぐそばまで、石灰岩採掘場が迫って来ており、重機もありました。

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乞食岩

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豆口峠から名栗側へ下ったところにある大岩は、『ものがたり奥武蔵』によると、乞食岩と呼ぶようです。

本来の乞食の意味は、修行僧が家の門前に立ち、施しの米や金銭を受けて回ることとありますので、かつてはここに修行僧がいたのかもしれません。

鍛冶屋橋から子ノ権現

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今回は、鍛冶屋橋から吾野駅まで歩くという長距離踏査です。
バス代節約のために、二つ分けて歩くところを一度で歩くことにしたのです。

鍛冶屋橋からは、前回と同じ林道で仁田山峠へ。
途中コア山と書かれた石碑があり、なんだろうな?
と思ったら、裏面に解説が彫ってあり、有間ダム建設の時に、ここから資材を調達して、それをコア材と呼んでいたために、地元民がこの辺りをコア山と呼ぶようになったそうです。
コア山は特定のピークを指す名称ではないようで、資材採掘場の名称のようです。

仁田山峠からは、巡視路が分かりやすいのですが、古道を探してみました。

以前は鳥居があったようですが、今は残骸も見当たりません。

錆びた鉄柵に沿って登ると、石祠の上に出ますが、下って来た場合だとこの道は見つけにくいですね。

捲道を使わず、尾根を直登したら、そんなにきつくありませんでした。

奥秩父線47号の直下を捲いて、46、45号と過ぎて、44号に来ると、展望が広がり、一休みするのにもって来いの場所です。
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小殿からの登山道に合流し、竹寺へ行きます。

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捲道を進んで、豆口峠へ。
屋根の残骸がありました。
千木のようなものがあるので、社の跡でしょうか?

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ここにザックをデポして、名栗車庫へ向かいます。
ジグザグ下ると、大岩の下に祠がありました。

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まもなく林道に出て、名栗車庫です。
車道で小殿へ向かいますが、車の通りが少ないので、快適です。
右上には鳥居観音が見えていて、いつか行ってみたいです。
12:30に小殿に着いて、ポケットに入れておいたカレーパンでお昼です。

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昼過ぎに、登山開始!
みたいな気分で関東ふれあいの道を登って行きます。

奥秩父線42号は、眺めも良いし、疲れて来る頃にちょうど良い休憩場所を提供してくれます。

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先ほども通った鞍部に着いて、今度は尾根道を進むと痩せ尾根です。
左から捲道が来ていたので、探ってみると、元の場所に戻りました。
捲道の方が良く踏まれていて、歩きやすいです。
竹寺の上のピークに立つ鐘楼に着くと、東と西の展望が素晴らしいです。

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鐘楼から竹寺まで往復しておきます。

けっこうな急坂で息が切れました。

更に尾根伝いに行くとアンテナの建つピークになり、傍らに古い石造物がありました。
こんな場所にも、小さな史跡があるのはさすがだなと感心しきりです。
細道が分かれており、古道でもあったのでしょうか?

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登山道とクロスして、バリエーションルートのような急登で、三角点峰に立つと、豆口山の板きれがありました。

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この辺りは、いくつか面白そうなバリエーションルートがありそうです。

豆口峠でザックを回収し、パンを食べたら子ノ権現へ向かいますがもう15時です。

20年以上前に歩いた道ですが、うっすらと記憶にあり、それを思い出すのもなかなか楽しいものです。

怪物のような電柱は、あの時無かったような気がします。

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伊豆ヶ岳からの道を合わせ、子ノ権現が近づくと展望が良くなります。
この景色は早朝に見てみたいものです。
明日もここに立つ予定ですがどうでしょう?
おや?白い手のオブジェも昔はありませんでした。
あれは、子ノ権現とどういう関係があるのでしょう?

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15:56 子ノ権現に到着し、原市場中学校~西吾野駅までが踏査で繋がりました。
ひっそりと静まり返った境内で、静かに感動し、巨大草鞋の前で記念写真です。
明日からは、ここから天覧山へ向けての踏査が始まります。
奥武蔵登山詳細図踏査は、本日第一段階を終了いたしました。
あとどれだけの段階があるのかわかりませんが…。
とにかく、一区切りです。

浅見茶屋には、いつか立ち寄りたいですね。
今日は、日暮れが迫っており、無理でした。

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吾野駅に着いたら17:48で、暗くなっておりました。

明日日曜は、西吾野~スルギ~前坂~吾野の予定です。

月曜は天気悪いから、休養しましょう!

茶内から中ノ坂

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(これはなんの石?)


今回は中ノ坂がメインですが、この前歩いた時に見つけた道を踏査してみることにしました。
予報では、朝方の雨が上がって、晴れるとのことなので、少し遅めの10時過ぎに歩き出します。
名郷方面のバスに乗って、久通谷橋(くずやばし)バス停で下車して、黒指方面へ進むと久林(くばやし)林道が分かれているのでそれに入ります。

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ゲート手前の木段を上がると、道路拡張で避難させられたと思われる石仏が、ひっそりと佇んでおりました。

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最初は薮と急登がありますが、短い距離で終わり、ほとんどが歩きやすい尾根歩きです。

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楢抜山への尾根道に出たら、この前踏査したばかりの加久良山を目指して下ります。
今回はガイド本に従って、素盞鳴神社には行かずに、尾根を直進してみましたが、藪があり上級者向きルートでした。
それでも、素盞鳴神社の突起を捲けたのは良かったです。

里道を歩くと、星宮神社です。
ロマンティックな神社ですね~。

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トップの不思議な石はここにあります。

原市場養魚場の先で左折。

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今でも使われている峠道のようで、歩きやすい道です。
切通しの中ノ坂を過ぎて下ると、妻沢川沿いの車道に出て、こちらには原市場地区まちづくり推進委員会が設置した導標があります。
手前には馬頭観音もありました。

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次に柳島峠の峠道を探しましたが、廃道状態で歩行困難です。

258m点、奥秩父線57号を過ぎて下ると、黄標柱があり、左が前回調べた原市場神社への道ですが、右に曲がって巡視路を進んでみます。

竹林になって、黄標柱を頼りに下り、わずかな藪漕ぎで黄標柱の立つ車道に出ました。
左へ進むと石原橋バス停にゴールです。

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明日土曜は、豆口峠付近を「の」字に踏査して吾野へ抜ける予定。

明後日日曜は、西吾野からスルギを経由して、吾野か東吾野へ抜ける予定です。

その後は、西武線の南側を天覧山まで数日かけて踏査して、北側に移行して行く予定です。

今月中に飯能駅に辿り着きたいです!

鍛冶屋橋からノボット

まずは、鍛冶屋橋バス停~仁田山峠の林道を踏査しました。

仁田山峠~天神峠は、かつての名栗往還です。

蕨入林道に下る道がわかりにくいのですが、楢抜山への登り口を過ぎてさらに東へ進むと、右に下っている道があり、そこを下ります。

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いくつか廃屋を見ますが、仁田山という集落の名残で、昭和30年代までは、住んでいる人がいたようです。
廃屋が残っているのは、2~3棟で、後は石垣や地蔵尊が残り、寂しい感じです。
途中で右に分かれる鉄柵のある道は墓地へのものでした。

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黄標柱の立つ天神峠分岐で左へ折れます。
同じ道を踏査しても仕方がないので、天神峠下の黄標柱で左へ進んで、奥秩父線49号を目指します。

49号は、展望が良く、一休みするには持って来いの場所です。

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わずかに登ると、林道に出ました。
天神峠からの道を確認して、カーブミラーから山道を下ります。

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地形図破線路が越えている鞍部は、赤倉の名がありますが、戸丸へ下る道は、すぐに不明瞭になります。
下の方には、いくらか踏み跡が残されています。
妻沢側の道は、薮が覆いかぶさり、廃道のようです。

根藤、滝ノ入という山名らしかぬ名が付いたピークを越えます。
この辺りの総称として、戸丸ノ向山の名もあるようです。

地形図に「ノポット」と書いてある登戸(ノボット)に着きます。
そういえば、これも山名らしかぬ名ですね。

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右へわずかに行ったところにザックを置いて、倉掛峠へ下ります。
ガイド本では、右に下って、林道伝いに行っているようですが、そのまま尾根通しに行った方が、すんなりわかりやすいです。
倉掛峠は、擁壁で降りられませんが、北側に降りられました。

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(倉掛峠北側の取付点)

原市場中学校まで踏査して、少し戻って、指導標のあるところから、周助山を目指します。

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ガイド本だと、墓地経由の急坂なので、こちらから登り下りする方が楽チンです。
いくつか分岐しますが、要所要所に指導標があって迷いません。
原市場中学校~周助山は、赤実線か、紫実線か迷うところです。

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今日は晴れの予報だったのに、雪が降りましたよ~。↓

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静かな周助山に到着です。

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分岐でザックを回収し、再びノボットを踏んで、北東尾根を下ります。
迷いそうな場所には、赤テープが貼ってあり、それを頼りに下りました。
麓が見えて来ると、大山祇神之碑に着きます。
墓地に出て、車道で中藤バス停へ行きます。

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飛村を過ぎて、山道に入り、前坂経由で吾野駅へ下りました。
これで、ノボット周辺の踏査は、完了です。
以前、歩いたことがある場所だったので、すんなりでした。

次回は、仁田山峠~竹寺付近を踏査する予定です。
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池田 和峰

Author:池田 和峰
2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

奥多摩登山詳細図(西編)などに名前が載っています。

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