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名栗の馬頭観音

去年の踏査では見つけることができなかった、馬頭観音をようやく今日見つけることができました。
原市場名栗林道(鍛冶屋入林道)の工事で場所を移されてしまい、わかりにくい場所に鎮座しておりました。
しかも、雨よけの波板が前に倒れていて、目隠し状態でした。
数年ぶりに日の光を浴びせてあげることができましたよ。
今は、林道を通る自転車、バイク、車、ハイカーを見守っております。
林道が右に急カーブする辺り、上の方を探してみてください。

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鍛冶屋入林道の馬頭観音 弘化2年(1845年)

「一体は峠の入口近くに、60センチに満たない高さの童顔で立ち、もう一体は久戸沢峠藤巻峠と古地図に書かれた峠の分かれ道近くに立てられている。中略

馬頭観世音

弘化二巳年吉日 佐野由□」

『名栗の石仏 P69』より

この石仏発見で、久戸沢峠道の分岐地点がわかり、久戸沢峠の場所も確定となりました。
肝心の峠道は、林道から沢沿い左岸を入って、50mくらい進むと、その先が崩壊しており行き止まりです。
古い地形図にもそのように書いてありました。
おそらく、度重なる出水で復旧されることなく放棄されたものと思われます。

仁田山峠経由で迂回して尾根に上がって、かつての久戸沢峠に行っても、峠道はありません。
伐採とその後の植林などの影響で消えてしまったようです。
これでは、地元の方が知らなかったのも無理はありません。
おそらく通行できなくなってから、半世紀以上が過ぎてしまったのでしょう。
久戸沢峠の名を絵図に残してくれた方には感謝ですね。
あの絵図が無ければ、永遠に忘れ去られた峠となっていたことでしょう。

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鍛冶屋橋 峠入口の馬頭観音 安永6年(1777年)

「仁田山峠を通ると、ずっと近かった。特に徒(カチ)では30分以上早く行けたので、いかだ乗りも江戸からの帰りは皆ここを通ったものです。」中略

馬頭観音 奉建立

武州秩父郡施主上名栗村中

安永六丁酉七月吉日 願主郎□」

『名栗の石仏 P68』より

こちらは、鍛冶屋橋バス停近くの林道へ少し入ったところにある石仏で、これは去年の踏査時から、見つけておりました。
江戸から歩いて帰って来た、筏乗りもこの石仏を見て、帰ってきたなあと思っていたことでしょう。
今日も花が生けてあり、地元の信仰が絶えていないようです。
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毛呂山町の馬頭観音

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2015年3月27日(金)№16 馬頭観音

元文2年(1737年)高さ44cm

毛呂山町(旧滝ノ入村)の毛呂川沿いの車道にある馬頭観音。

中在家の少し下流にある。

南川の石造物

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写真右
番号:32

名称:馬頭観音

年代:文政3年 1820年

様式:自然石文字

銘文:馬頭観世音

所在地:南川下久通 日用橋横

『飯能の石仏 P93 P190写真』


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写真左
番号:3

名称:万霊塔

年代:天明1年 1781年

様式:自然石文字

銘文:三界萬霊等

所在地:南川上久通 地蔵堂脇

『飯能の石仏 P99 P196写真』

写真中
番号:7

名称:巡拝塔

年代:嘉永1年 1848年

様式:自然石文字

銘文:奉納神社佛閣供養塔

所在地:南川上久通 地蔵堂脇

『飯能の石仏 P93 P196写真』

写真右
番号:35

名称:地蔵菩薩

年代:不詳

様式:自然石文字

銘文:南無地蔵大菩薩

所在地:南川上久通 地蔵堂脇

『飯能の石仏 P89 P185写真』

万霊塔(ばんれいとう)

「この塔をたてることによって、宇宙に存在する一切、万霊を供養しようとするもので、日常多くの人から回向を受けやすい場所である、寺院の境内や墓地に造立されています。
万霊を供養することで自らも救われると信じられました。」

写真左の万霊塔は、廃寺となった福正寺十世の代の造立ということです。


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詳細不明なお堂と石造物:地蔵橋上流


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番号:32

名称:地蔵菩薩

年代:不詳

様式:自然石文字

銘文:南無地蔵大菩薩

所在地:南川上久通 地蔵堂脇

『飯能の石仏 P89 P185写真』

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写真左
番号:15

名称:読誦塔

年代:安政3年 1856年

様式:自然石文字

銘文:南無阿弥陀佛 百万遍供養塔

所在地:南川上久通

『飯能の石仏 P100 P197写真』

写真左から二番目
番号:46

名称:馬頭観音

年代:不詳

様式:自然石文字

銘文:馬頭尊 戸ノ入 三右ヱ門

所在地:南川上久通

『飯能の石仏 P94 P191写真』

南川口の丁石

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獨歩了□沙彌

「獨歩了□沙彌」と読めますが、上から四番目の文字が判読不能で、資料にも載っていないので詳細不明な石造物です。
崩れた旧天龍橋を渡り、左に曲がってすぐのところにあり、山道に入って最初に目にする石造物です。

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拾四町石

番号:21

名称:町石

年代:大正13年 1924年

銘文:拾四町 南川有志 大正13年4月

所在地:南川下久通 天龍寺参道

『飯能の石造遺物 P81 P204写真』

崩れた旧天龍橋を渡り、詳細不明の「獨歩了□沙彌」という石造物を見て、更にジグザグに上がると見ることができる町石です。
大正時代の町石は、角柱状のものが多いですね。
誰も通らなくなった古道でひっそりと佇み、今にも倒れそうな町石です。

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十三丁石

番号:未発見

名称:町石

年代:不明

銘文:十三丁

所在地:南川下久通 天龍寺参道

『飯能の石造遺物』に載っていない新発見の町石です。
年代は他の町石が安永8年のものが多くその頃かと思われますが不明です。
古い道標の方が造形が凝っていて、近代美術に匹敵するほど美しいと思います。

この他、12~10町石があるようですが、見つけることができませんでした。
他にも未発見の石造物が眠っているかもしれません。
こういうものを発見するのも楽しそうですね~。

日用橋の道標と南川口

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番号:13

名称:道標

年代:不詳

銘文:右 なぐりみち かわごえちちぶ 左 子のごんげん

所在地:南川下久通日用橋

『飯能の石造遺物 P78 P202写真』

日用橋と日用林道の入口に立つ古い道標です。
子ノ権現への古い参道がこの先にあったことを証明しております。
こういう遺物も古道探索の楽しみの一つです。

一般に南川口と呼ばれるこの道は、高麗川の鳥居橋を起点として、柿ノ木峠(犬ノ道)八丁目で小床口の登山道に合流しますが、日用林道終点にかかる橋(天龍橋)が崩れており、通行を困難なものにさせております。

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崩れた天龍橋

「林道突き当たり左手に、土橋の天龍橋がある。
最初に来た頃には、畔に立つ木標に雄渾な筆致で書かれた「天龍橋」の墨書がはっきり読めたが、今では薄れて判読できない」

『奥武蔵をたのしむ 町田尚夫著 P239』

土橋というのはどういう構造なのでしょうか?
橋が崩れた今となっては知るすべがありません。
昨年の大雪で崩れたのでしょうか。
墨書の天龍橋も見てみたかったです。

前坂峠の石造物

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8 高山小指 大日如来自然石塔

年代:不詳

様式:自然石塔

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14 高山小指 文字塔

年代:元治2年(1865年)

様式:角型文字


5 高山小指 弘法大師の光明真言塔

年代:文久1年(1861年)

様式:笠付厨子内 僧形丸彫坐像

前坂峠は、小指とクレ切場の境目にあるようですね。
小指の南に、黒仁田山が聳えているため、日差しが良くないので、遠慮して小ざすと呼んだらしいです。

大日如来文字塔と稚児の墓

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5 北川空龍 大日如来文字塔

年代:明治16年(1874年)

様式:隅丸型文字

『ものがたり奥武蔵』の稚児の墓を探しているのですが、調べたら「大日如来文字塔」でちょっと違うようですね。

顕著なピークじゃないし。

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カンナタテのピーク

ここの南の字名を慈光小屋(じこうごや)といいまして、比企の慈光寺と深い関係があったそうです。
峠道も通っていたことから、小屋は休み場のことらしいです。

注目すべきは、慈光寺の稚児がここで命を絶ったという言い伝えがここに残されていることです。

「さて、征夷大将軍頼朝公のお成りとあっては、慈光寺はその応接に上を下への大さわぎで、この日はいつも隣り寺の高山不動から、多くの稚児が手助けにくるしきたりでした。
話はやはりこの時で、高山からきたある一人の稚児が、特にきわだって容貌が美しく聡明であったので、頼朝おそば近くのお給事役にえらばれました。
これに対して他の稚児たちは嫉妬心を起し、密かに機会あらばとねらっていました。

たまたまこの稚児が頼朝公御前に給仕中、腰と袴との擦り合いで異様な音を発したのを、他の稚児たちは、この時とばかりこれを放屁だといって辱めました。
美貌の稚児はくやしさの余り高山不動への帰途、右に高山、左に慈光の見える山の岩上から、投身してはててしまいました。

付近の村人があわれに思い、その地に一基の墓標を立ててその霊をねんごろにとむらったのですが、稚児は投身するときに「再びかかる無念を味わぬため、慈光へは以後稚児は登らぬように」との言葉を残していったので、それからは慈光の寺領中では子供が育たなくなってしまいました。

飯盛峠の東隣のこの稚児の投身した山を、今も稚児の墓と呼んでいますが、この伝説が本当になのか、慈光寺に関係ある家には丈夫な子供が一人もなく、幾度か坊さんがこの山に登って、稚児の墓を慰めたといいます。」

『ものがたり奥武蔵 P115』

岩の上から身を投げて亡くなったということは、かなり落差がある岩と思われます。
もしかしたら、カンナタテっていうのは、岩の名称なのではないでしょうか?


大日如来文字塔の少し西に、岩場があります。

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近くの岩場

でもここは、慈光小屋の字地では無く、空龍になってしまいます。

慈光小屋の地内で探すと、北川尾根のあの岩場しか思い当りません。

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北川尾根にある岩場

カンナっていうと、やっぱり大工道具の鉋ですよね。
垂直な岩だと思うのですが、まだこれだとなると、未発見です。

本格的に調べてみたいけど、踏査が全部終わってからにしますかね~。

飯盛峠下文字塔

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北川 空龍 飯盛峠下文字塔

左から二番目
『飯能の石仏 P185画像』北川 空龍 飯盛峠下文字塔

『飯能の石仏 P89一覧表』地蔵菩薩 43 年代不詳 自然石文字 地蔵大菩薩


『飯能の石仏 P92一覧表』馬頭観音 23 文化3年(1806年) 駒型浮彫坐像

(右)此方 た加山(高山) 川越 みち

(左)此方 志かうじ(慈光寺) ちちぶ みち

(台座) 秩父郡 北川村柏木

この石造物は、グリーンラインのガードレール下の影にあって、見えにくい場所にあります。
地元の方によると、飯盛峠への峠道ということで、檥(ぶな)峠を経て秩父方面へ行く交易路だったそうです。
重要な峠道だったせいか、石造物が4基も確認できます。

この峠道は主に、柏木尾根に沿って付けられており、奥武蔵の峠道は、一般的に荒れやすい沢沿いを避けて、尾根沿いに作られております。
だから、奥武蔵の峠は山頂の肩にあることが多く、飯盛峠もその一つです。

「志かうじ」とはどこのことだろう?
と30分ほど頭を捻り続け、志かうじ→しこうじ→しこう寺→じこう寺→慈光寺
と連想ゲームをやって、やっとこさ判明いたしました。
昔の道標って暗号文みたいですね。

柏木の地蔵菩薩と庚申塔

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柏木の地蔵菩薩像

左側
『飯能の石仏 P185画像』 風化が進んでいる

『飯能の石仏 P89一覧表』地蔵菩薩 41 年代不詳 丸彫立像

中央
『飯能の石仏 P194画像』磨滅が進んでいる

『飯能の石仏 P97一覧表』庚申塔 19 青面金剛 年代不詳 舟型浮彫立像

右側
『飯能の石仏 画像無し』 

『飯能の石仏 P89一覧表』地蔵菩薩 42 年代不詳 丸彫坐像

北川と空龍ヤツの出合付近にある大岩の上に、三つの石像があり、一番右の損耗が激しく、古いようです。

町屋敷 庚申塔

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町屋敷の庚申塔

『飯能の石仏 P194 (一覧表P96)』に素人が刻んだような像とあります。

庚申塔 18 青面金剛 隅丸型浮彫立像 年代不詳

一面六臂のように見えます。

青面金剛というのは、庚申信仰の主尊です。
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プロフィール

池田 和峰

Author:池田 和峰
2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

奥多摩登山詳細図(西編)などに名前が載っています。

メアド:climberkaz@gmail.com

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