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そうだ!芋浦美へ行こう!

奥武蔵には、奇妙な地名がたくさんありますが、芋浦美もその一つです。

まず、読み方が難しい。

いもうらみ

と読みます。

おいもの裏がきれいだったのかな?

って、イモに表とか裏とかあったかな?




明治9年に改称されるまでは、芋恨(いもうらみ)と書いていたようです。

なんちゅ~恐ろし気な地名や~!

しかし~、イモを恨むとは、わかるようでわからないような…。

ここで採れるおいもがあまりにもうますぎて、ついつい食べ過ぎてダイエットに失敗しちゃったからイモを恨んだ?

ってイモに罪はありませ~ん!
自己管理できない自分を責めるべきでしょう。

そういえば、私の腹も最近ますます出てきたような…。

芋は食べてないんですけど。(笑)

まあ、冗談はさておき…。

『名栗の伝説 町田泰子 編集 P7』によると、東京の一口坂近くに住んでいた人が名栗の地に越して来て、その人は一口大じん呼ばれておりました。

一口は、ヒトクチでは無く、イモアライと読みます。

東京の一口坂も面白そうな由来がありそうですが、ひとまず置いておきましょう。

その一口大じんと呼ばれる人がふかしたさつまいもを食べた時に、喉につまらせ亡くなってしまい、家も絶えてしまったので、それ以来、この土地を「芋恨(いもうらみ)」と呼ぶようになったそうです。

ざっくりとあらすじだけですみません。
『名栗の伝説』にはもっといろいろ書いてありますので、飯能市立図書館などで読んでみてくださいね。
ちなみに、隣接市在住なら本を借りられます。
所沢の私は、ギリギリ?っていうのも変ですけど借りられたので、コピーしまくって、時々読んでおります。

それにしても個人的なエピソードが地名になるってすごいですね。

イモアライとイモウラミってどこか似てますね。

イモアライが訛ってイモウラミになり、伝説が生まれたような気もします。

金曜日は、その辺りをブラブラしようかと思っております。
ついでに、奥多摩東編の踏査もできたらいいかな~と。

仕事が終わったのが0時なので、起きられるかどうかわかりませんが~。
一稿の締め切りに間に合うか~?

飯能から湯ノ沢行きに乗って久林で下車して北上する予定です。

目覚ましは5時にセッ~ト!
その前に小腹が減った~。
ちょっとだけ食べてから寝よう!
これじゃあ、痩せないね。
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難読地名=下火

永田山のことを調べていたら、南の名栗川右岸に下火という奇妙な地名を見つけてしまった。

シタビなのか、シモビなのか?
はたまたカヒなのか?

普通ならシタビであろう。

その答えは?













































































シモッピ

これは読めない…。
こんな地名にもれっきとした由来がある。

禅宗で葬式の時、導師が炬(かがり)をとり死者を火葬する動作を示すことを下火と書いてアコと読む。

下火中に長泉寺という禅宗のお寺があり、そこは古く土葬だったが、火葬がこの寺の導師によって執行されるようになると、下火(アコ)のことが広く知られるようになった。
長泉寺はいつか下火の代名詞で呼ばれるようになり、遂には土地の字にまでなったという。

参考文献『飯能市史 資料編 Ⅺ P39』

仏教用語の下火(アコ)が時代の流れでシモッピと読まれるようになったということだろう。
他にもまだまだ難読地名がいくらでも出てきそうである。
全部の地名にふりがなを振りたいところだが、調べる時間がなかなか無い。
気が付いた時にふらっと調べてみよう。

下火=シモッピ

新旧元祖ドレミファ橋

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1993年2月11日(木)高麗川・巾着田の旧ドレミファ橋

巾着田にあるドレミファ橋は、昔、飛び石のような橋で、これをドレミファソラシド♪と歌いながら渡ったことが名前の由来なんだとか…。
増水時は、河面の下に沈んでしまう沈下橋だったので、橋桁はありませんでした。
対岸からも人がやって来た時は、すれ違うのにちょっと危なかったかもしれません。

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2015年2月6日(金) 高麗川・巾着田の新ドレミファ橋 2010年9月完成

平成22年(2010年)に橋桁が架かって、現在の新ドレミファ橋となり、すれ違いもスムーズに行えるようになりました。
おそらく、増加した観光客に対応するために橋桁が架けられたのでしょうが、昔の飛び石状態のドレミファ橋が懐かしいです。
その後、たまたま立ち寄った吾妻峡に行ったら、こちらは飛び石のドレミファ橋があり、しかも元祖を名乗っておりました。
ドレミファ橋からドレミファ橋への旅も楽しいかもしれません。

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2015年2月6日(金)入間川・吾妻峡の元祖ドレミファ橋

三つのガテ地名

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1990年4月15日日曜日のユガテ

う~~~~む!
若いですね~。
黄色いトレーナー着た青年はいったい誰なのでしょうか~?

それはさておき…。
昔のユガテにはこんな立派な看板が立っていたのですが、今はありません。
景色も少しは見られたのですね~。

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2015年3月16日月曜日

だいたい四半世紀後の同じ場所です。
25年も経つと、植林も立派に成長して薄暗くなります。
左の植林は更にでかくなっておりますね~。

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奥武蔵でお馴染みの標識も今は、すっかり古くなって割れて落ちており、時の流れを感じずにはいられませんでした。
奥武蔵は、登山初心者の頃に何度も通った懐かしの場所です。

そうそう、今日のテーマは、三つのガテ地名ということですね。

なんと!
ユガテという地名も珍しいのに、他にタガテショガテという地名もユガテの近くにあるのですよ!

ユガテは湯ヶ天または湯毛手と当て字され、ゆずがたわわに実る温かい場所と説明されておりますが、それは湯という文字から連想された由来でしょう。
それじゃあ本当の由来は、なんなのか?
正直なところ、良くわかりません。
お手上げです。

これは推測になりますが、古朝鮮語で、耕作に適した高地のことを○ガテと言ったのではないでしょうか?
というのも、ユガテはもちろん、他のショガテ、タガテも高地の地名となっているからです。
謎は謎のままにしておくのも浪漫があって良いと思います。
ショガテ、タガテの場所を見つけたから謎が解明されるかと思いきや…。
ますます謎が深まってしまいました~。

残念ながらショガテ、タガテへ行く道はありません。
それでもなんとかたどり着くことができた方は、「こんなところだったよ~!」ってな感じで教えてくださいね!
まずは、地図でショガテ、タガテを探してみてください。
山行後の打ち上げで、「ユガテの他に、ショガテとタガテもあるんだよ~」なんて蘊蓄を披露するのも楽しいかもしれません。

こういう面白地名を探し出すのも地図を読む楽しさの一つです。
他にも不思議な地名をいくつか載せてありますので探してみてくださいね~。

一番~一七番

地形図を見ると、横瀬町には、一番とか三番とかの数字が並んでいることに気が付きます。
札所の番号かな?とも思いましたが、位置が違うようです。
そこで調べてみたら、明治9年(1876年)に明治政府が行った地租改正に伴なう土地面積の調査で旧字が整理改名されて、一番~一七番の字名が生れたようです。
当時の横瀬にも近代化の波が押し寄せて来たのですね。

しかも更にわかりにくくなっているのが、横瀬では独自に区政を敷いて、一番を一区として、以降一七番までをそれぞれ一七区としております。
この場合の横瀬とは、合併前の旧横瀬村の範囲で、旧芦ヶ久保村は含まれません。
旧芦ヶ久保村の字名は、改名されずにそのまま残りましたので。

正式には、一番耕地や三番耕地とも呼ばれ、耕作地に適した平野部で改名が行われたようです。
地形図を見ると、山岳地帯には一番~一七番が無いので一目瞭然です。

紛らわしくて、更に混乱させてしまいますが、八番峠という地名があり、これは地租改正とは関係無く、札所八番へ向かう巡礼道が越えていたことが由来です。
現在は三菱マテリアルの社宅となっており、いくつか残っている石造物でかつての八番峠を偲ぶことができます。

御製碑と下ノ丸山

武甲山の北側について調べていたら、御製碑(ぎょせいひ)と丸山に関係についてわかりました。

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御製碑

昭和42年の埼玉国体の時に、天皇、皇后両陛下が、丸山に登られ、帰り道にキブネ菊を見つけて「山裾の田中のみちのきぶね菊、夕くれなゐに、にほへるを見つ」と歌われ、この歌碑、つまり御製碑が建てられたそうです。

丸山といっても、芦ヶ久保の北の丸山ではありません。
姿が丸く見えることから丸山と名付けられた武甲山麓の山です。

今は通行禁止ですが、かつての裏参道はこの丸山を通っていたのです。
裏参道は地元有志によって、大正の初期に作られ、親しまれた武甲山の登山道です。

この歌碑の背に丸山が見えいたと思われます。
今も残っているのでしょうか?

武甲山麓には、丸山が二つあったようで、陛下が登られた丸山は、下ノ丸山と呼ばれております。
くどいようですが、現在は立入禁止となっています。

ににん が く?

姥神の近くで、ニニ九沢という面白い名前の沢を見つけました。

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これはもう明らかに当て字なのが明確ですね~。

中央線沿線の醍醐丸の方にもニニク沢ってのがありましたね。
意味がさっぱりでしたけど、ここで解明してみましょう。

まずは読み方ですが、ここのニニ九沢は、ニニクとは読まず、ニフクザワと読みます。

もうこれで当て字だっていうのはまるわかりです。

文字を分解すると、ニ・フクかニフ・クになりますが、前者の方が意味が出て来るようです。

「ニ」は赤土、粘土のことで、ハニ(埴)のニにも繋がるようで、ニタのニにも関係していると思われます。

フクは、福で美称(縁起)地名か~?
と思いきや、そう簡単ではありません。

フケ(沮)の転で湿地の意味なのです。

というわけで、ニニ九沢は、粘土質で湿地のある沢という意味になります。

醍醐丸の方のニニク沢もニンニクが生えてたとかじゃなくて、ニフクにニニ九が当て字され、ニニクと読まれるようになったようで、同じ意味だろうと思います。
ここでようやく、ニニク沢の謎が解明できました。
わからないことも、いつかひょんなことから解明できてしまうことがあるんですよね。

地名って奥が深いですね~。

【追記】

『地図で歩く秩父路 飯野よりじ 著 さきたま出版会 P178』に「元の沢名は「田坂沢」と呼んでいたが、昭和22年9月の台風で沢が氾濫し、死者を出す大災害を引き起こした。
この惨事を忘れぬため今の沢名に改めた。」

とあり、おそらく、醍醐丸のニニク沢も同じ由来と思われます。

千段萱

「飯盛山から東へ広がる尾根は、千段萱といって、千駄(約36貫-133キロ)の茅がとれたからだそうです。
ここはもとは龍隠寺領で、村人達は冬を迎えると総出でこの山に登って、龍隠寺の屋根替用の茅を刈ったそうです。
十万石の格式を持つ龍隠寺の大屋根を替えるには、この茅を何年も刈り溜めておいて使用したといわれています。」

『ものがたり奥武蔵 P179』

千段萱の場所は、今は植林で薄暗い場所です。

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千段萱(ニノホッキリ)

船久保地形になっている場所があり、その周囲も平坦地が広がっているので、かつては茅がたくさんとれたのだろうなあと推測できます。

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龍隠寺(残念ながら瓦ぶき)

別名のニノホッキリについてはなんの手がかりもなく、詳細は不明です。

かつての村人になったつもりで、龍隠寺から千段萱まで登ってみるのも面白そうですね。

それにしても、知れば知るほど、奥武蔵って生活に密着していた山というか、山が生活の場だったのだな~とわかってきます。
道や地名が多いのもその理由でしょう。

地図を作る側としては骨が折れます…。(笑)

町屋敷

1458.町屋敷 マチヤシキ

舎ノ峰(こやのみね)の南方、麓の平に民家がある。
明治末まで山大尽といわれた家があった。
屋号を町屋敷と言ったそうだが、商人が集まる町では勿論ないから待(まつ)が町に転じたと思われる。
すでに述べたように「おかね様」の小祠が近く、松場などと同様な意味あいの場所であろう。

出典:『飯能市史 資料編 Ⅺ P161』

町屋敷は、待つ屋敷の転訛したものだとしておりますが、「待つ」の意味はなんでしょうか?
松が植えられた屋敷があったから、松屋敷が転じて町屋敷となったと考える方が妥当なように思えます。
この町屋敷と高山不動を結ぶ峠道付近に、「おかね様」と呼ばれる小祠があるそうです。
今後の踏査で見つけることができるでしょうか?

なお、柏木尾根の神社から町屋敷への道は、偶然出会った地元の方の話によると、公道では無いとのことです。
尾根通しの道は薮っぽくて、藪の無い町屋敷方面へ下ってしまいがちですが、尾根通しの藪道が公道です。
地元では赤線と呼んでおります。

空龍

1455.空龍 クウリュウ・コウリウ

前坂の北、前坂に空龍の屋号があり、降龍(こうりゅう)とも言われる。
降龍(くだりりゅう)というのは降雨につながり、雨乞い場があってのことであろう。

出典:『飯能市史 資料編 Ⅺ P161』

旧北川村の最東端に位置する場所で、飯盛峠の南東部にあたります。
空竜林道の終点から飯盛峠に登るハイカーを時々見かけるそうですが、地元の人も躊躇してしまうほどの難路だということです。

空龍ヤツという沢を竜に例えると、竜が下っているようにも見えます。
飯盛山は雨乞の場でもあっただろうし、それが空龍の由来というのも納得できます。

コウリュウ→クウリュウと転訛して、それに空龍の字を当てたのようなのです。
この地名も当て字地名で、文字から由来を考えると誤った由来になってしまいます。

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町屋敷を流れる空龍ヤツ
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プロフィール

池田 和峰

Author:池田 和峰
2015年から奥武蔵登山詳細図を手伝うことになりました。

奥多摩登山詳細図(西編)などに名前が載っています。

メアド:climberkaz@gmail.com

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